ステップ9:仕える
イエスの働きに参加する
イエスの弟子の三つ目の目的は地上で神の国を広げるイエスの働きに参加することです。イエスは十字架と復活を通して神の国を地上で正式に開始しました。今もその神の国が天と同じように地上でも広がり続けています。
神は正しくあわれみ深い王です。1 ですから神の国(神の王としての権威が認められて実現している場所)には正義とあわれみがあります。2
正義とは義、公平さ、正しさが社会にあることです。またそれは、不正義、抑圧、不公平のない社会です。あわれみとはすべての人への優しさ、愛、思いやりの表現で、相手がどんな人であっても与えられるものです。
復活したイエスは今のこの瞬間にも世界の王として治めています。しかし…
ヘブル人への手紙 2章8節
8 それなのに、今なお私たちは、すべてのものが人の下に置かれているのを見てはいません。
この世界は今でも神に対して、そして神の選んだ王であるイエスに対して反乱しています。この反乱が、世界が今でも不正義とあわれみのなさで溢れている理由です。しかし、イエスは王として神の国を広げる働きを続けています。
コリント人への手紙 第一 15章25-27節
25 すべての敵をその足の下に置くまで、キリストは王として治めることになっているからです。26 最後の敵として滅ぼされるのは、死です。27「神は万物をその方の足の下に従わせた」のです。
神の国がこの地上でも完成する日が近づいています。それを聖書は新しい天と新しい地と呼んでいます。そのときには、完全な正義とあわれみが行われます。3
その日まで、神の国は地上で広げられる必要があります。そして神の国が広がれば、 正義とあわれみが広がります。イエスの働きは、 正義とあわれみの神の国を天と同じ ように地上でも広げることで、その働きにイエスの弟子は参加します。では、 どのようにすれば、すべての人に正義とあわれみがなされるような働きに参加できるのでしょ うか。それは、イエスが神の国を始めたのと同じ方法、へりくだって自己犠牲の愛で仕えることによってです。
イエスの働きに参加して、神の国を地上で広げる主な方法は、人々に仕えることです。このステップでは、「なぜ」 仕えるのか、「だれに」 仕えるのか、「どのように」仕えるのかを見ていきます。
なぜ
仕える
だれに
仕える
どのように
仕える
なぜ仕えるのか
この世界は痛みと苦しみで満ちています。私たちの周りにはたくさんの不正義があります。 周りの社会を見ると、あわれみよりも欲望や自分の思いが中心になっています。このような中で、 どうして人々に仕えることが正義とあわれみを広めるための方法なのでしょうか。
イエスの生きていた一世紀のパレ スチナ地域では、多くの人たちが抑圧され、大きな不正義を受けながら暮らしていました。その中で人々は正義とあわれみの神の国が来るのを待ち望んでいました。ですから、イエスが神の国の真の王としてやって来たときに、多くの人たちは剣を持った王のようにイエスが、力と軍事力によって神の正義を行うことを期待しました。今の社会でもどのように正義とあわれみが行われるべきかという多くの考え方があります。 政治にそれを求める人もいれば、 正義とあわれみなんて達成不可能で非現実的だと思う人もいます。しかし、イエスが私たちに示した道こそが、神の教える驚くべき方法です。イエスは自分を捨て、 自分を犠牲にして人々に仕え、 最後は自分の命までも差し出しました。イエスが弟子たちに示しているのは、イエスの御国、そして王としてのあり方は、私たち や世界が思い描 く姿とは違うということです。
マルコの福音書 10章42-45節
42 そこで、イエスは彼らを呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者と認められている者たちは、人々に対して横柄にふるまい、偉い人たちは人々の上に権力をふるっています。43 しかし、あなたがたの間では、そうであってはなりません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。44 あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。45 人の子も、仕え られるためではなく 仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。」
イエスはイエスの弟子である私たちにも同じように仕えるようにと教えています。
ヨハネの福音書 13章3-5節、12-15節
3 イエスは、父が万物をご自分の手に委ねてくださったこと、またご自分が神から出て、神に帰ろうとしていることを知っておられた。4 イエスは夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。5 それから、たらいに水を入れて、弟子たちの足を洗い、腰にまとっていた手ぬぐいでふき始められた。… 12 イエスは彼らの足を洗うと、 上着を着て再び席に着き、彼らに言われた。「わたしがあなたがたに何をしたのか分かりますか。13 あなたがたはわたしを『先生』とか『主』とか呼んでいます。そう言うのは正しいことです。そのとおりなのですから。14 主であり、師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのであれば、あなたがたもまた、 互いに足を洗い合わなければなりません。15 わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、あなたがたに模範を示したのです。…」
イエスは世界を変えました。しかし、イエスは本を書いたわけでも、政治力を持っていたわけでも、デモを指揮したり武器を持って立ち上がったわけでもありません。またメディア、インターネット、SNS、印刷機を上手に利用したわけでもありません。イエスが世界を変えたのは、徹底的に仕えることによってでした。それは一部の人に驚きと喜びを与え、腐敗した権力者たちにとっては気に食わない方法でした。
イエスが復活して天に上ってから、教会はイエスと同じように徹底的に仕えることを通して世界を変え続けています。 社会でのけ者にされている人たちに仕え、お腹を空かせた人に食料を与え、難民を迎え入れ、養子を迎え、孤独なやめもの友達になり、クリスチャンは仕えることで世界に影響を与えてきました。
政治や他の職業を通して社会に正義とあわれみを実現しようとすることは大切で意味があります。4 しかしどんな仕事の人であっても、イエスの弟子はイエスの働きに参加して人々に仕えることができます。
だれに仕えるのか
私たちは誰に仕えるべきなのでしょう。 初めにやるべきことは、私たちの周りにどのような必要を抱えた人たちがいるのかを発見することです。 パウロはガラテヤ 人への手紙の中でこのように言っています。
ガラテヤ人への手紙 6章9-10節
9 失望せずに善を行いましょう。あきらめずに続ければ、時が来て刈り取ることになります。 10 ですから、私たちは機会があるうちに、すべての人に、特に信仰の家族に善を行いましょう。
すべての人に
私たちは誰に仕えるべきでしょうか。答えは単純で「すべての人に」です。どんな人にでも、 誰にでも仕えましょう。誰かの必要に気がつくたびに、正しいことを行いその必要を満たしましょう。
教会メンバー
しかしパウロは、特に信仰の家族、すなわち神の家族である教会に善を行うようにと言っています。教会は家族です。私たちが近所の人の必要を満たす前に、まず自分の家族の必要を満たすのと同じように、クリスチャンは教会の家族の必要が満たされていることを優先してまず考えます。一世紀の教会はこのようにして互いに仕え合っていました。
使徒の働き 2章44-45節、 4章34-35節
44 信者となった人々はみな一つになって、一切の物を共有し、45 財産や所有物を売っては、それぞれの必要に応じて、 皆に分配していた。… 34 彼らの中には、一人も乏しい者がいなかった。地所や家を所有している者はみな、それを売り、その代金を持って来て、35 使徒たちの足もとに置いた。その金が、必要に応じてそれぞれに分け与えられたのであった。
「彼らの中には、一人も乏しい者がいなかった」とあります。5 なんとすごい証でしょう。初めの教会はこれほどまでに互いに仕え合って必要を満たしていました。このステップの最後の部分で、 どのように教会内で互いに仕え合うことができるのかを見ていきます。
立場の弱い人々
神はイエスの弟子が教会の外の人々にも仕えることを求めています。聖書は助けを必要としている人々をこのように書いています: 6 やもめ、 みなしご(孤児)、寄留者(難民・ 外国人)、貧しい者。
私たちは自分の中で勝手にどういう人が助けを受けるのにふさわしいかを決めて基準を作ってしまいます。けれども聖書は、えこひいきや差別は不正義であり、行わないようにと警告しています。
ヤコブの手紙 2章1-6節
1 私の兄弟たち。あなたがたは、私たちの主、栄光のイエス・キリストへの信仰を持っていながら、人をえこひいきすることがあってはなりません。2 あなたがたの集会に、金の指輪をはめた立派な身なりの人が入 って来て、また、みすぼらしい身なりの貧しい人も入って来たとします。3 あなたがたは、立派な身なりをした人に目を留めて、「あなたはこちらの良い席にお座りください」と言い、貧しい人には、「あなたは立 っていなさい。でなければ、そこに、私の足もとに座りなさい」と言うなら、4 自分たちの間で差別をし、悪い考えでさばく者となったのではありませんか。5 私の愛する兄弟たち、よく 聞きなさい。神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富む者とし、神を愛する者に約束された御国を受け継ぐ者とされたではありませんか。6 それなのに、あなたがたは貧しい人を辱めたのです。…
人の価値はその人の能力や社会的地位とは関係ありません。神から見るとすべての人に価値があります。ですから、イエスの弟子として私たちは、自分と同じような人たちや家族や親戚だけでなく、どんな人に対しても仕えようとします。社会で最も弱い立場の人々に仕えることこそ、神が私たちに望んでおられる信仰の現れです。
ヤコブの手紙 1章27節
27 父である神の御前できよく汚れのない宗教とは、孤児ややもめたちが困っているときに世話をし、この世の汚れに染まらないよう自分を守ることです。
イザヤ書 58章6-7節
6 わたしの好む断食とはこれではないか。悪の束縛を解き、くびきの縄目をほどき、虐げられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕くことではないか。7 飢えた者にあなたのパンを分け与え、家のない貧しい人々を家に入れ、裸の人を見てこれに着せ、あなたの肉親を顧みることではないか。
イエスはどこにいるときも、周りの人たちの必要を見つけては人々に仕えました。イエスの弟子もイエスの働きに参加して、周りの人たちの必要に仕えます。
どのようにして仕えるのか
では、具体的にはどのように仕えれば良いのでしょうか?その方法は単純です。神があなたに与えてくれているものを、他の人たちとも分かち合えば良いのです。
神が私たちに良いものを与えてくれるのは、私たちが他の人たちを祝福するためだと聖書は言っています。7 私たちの能力、得意なこと、立場、霊的な賜物、お金などは、他の人に仕えるために神が与え てくれているものです。その中から特に霊的な賜物とお金という二つを見ていきましょう。
霊的な賜物
ペテロの手紙 第一 4章10-11節
10 それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい。11 語るのであれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕するのであれば、神が備えてくださる力によって、ふさわしく奉仕しなさい。すべてにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。この方に栄光と力が世々限りなくありますように。アー メン。
聖霊はイエスの弟子の一人一人に他の人に仕えることのできる力を与えてくれていると新約聖書は語っています。8 たとえば、人を励ます賜物を持った人、事務作業など管理する賜物を持った人、教える賜物、リーダーシップ、人を助ける賜物などさまざまな賜物があります。神があなたに与えている賜物がどんなものでも、それはあなたのア イデンティティーを決めたりあなたを高めたりするためのものではなく、人々に仕えるための贈り物です。
ですから、あなたの教会のコミュニティーで仕える方法を見つけてください。日曜日の礼拝で準備を手伝ったり、キッズクラスでボランティ アをしたり、他に必要がある部分で仕えてください。牧師やすでに仕えている他のクリスチャンにどんな必要があるのかを聞いてみてください。自分には特別な力や能力はないと思うかもしれませんが、神はすべてのクリスチャンに人に仕えるための賜物、力、情熱を与えてくれています。まずは仕えることを始めて、その中でどんな形で人々を助け祝福することができるのか発見していきましょう。それを通して、神があなたに与えている賜物を見つけることができます。
お金
霊的な賜物と同じように、お金も他の人に仕えるために神が私たちに預けてくれているものです。周りの人々の必要に気がついたときに、言葉をかけるだけでは十分ではないこともあります。
ヤコブの手紙 2章15-16節
15 兄弟か姉妹に着る物がなく、毎日の食べ物にも事欠いているようなときに、16 あなたがたのうちのだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹になるまで食べなさい」と言っても、からだに必要な物を与えなければ、何の役に立つでしょう。
ヨハネの手紙 第一 3章16-18節
16 キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。それによって私たちに愛が分かったのです。ですから、私たちも兄弟のために、いのちを捨てるべきです。17 この世の財を持ちながら、自分の兄弟が困っているのを見ても、その人に対してあわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょ うか。18 子どもたち。私たちは、ことばや口先だけではなく、行いと真実をもって愛しましょう。
個人として直接的に他の人の必要を満たすこともありますが、多くの場合、クリスチャンは資金を一つに集めることによって一緒により大きな必要に仕えます。9
行動で親切を示す
毎日、私たちの前にはさまざまな必要を抱えた人たちがいます。重い買い物袋を持って苦労しているおばあさんや宿題で助けを必要としている子ども。近所の家が修理を必要としていたり、同僚が最近の大変なことについて話を聞いてほしいと思っているかもしれません。それがどんなものであっても、イエスは私たちを通してその人たちの人生で働きたいと思っています。イエスの弟子である私たちは、イエスの手となり足となり、口となり耳となり、この世界でイエスの愛と優しさを示していきましょう。
あなたの周りにはどんな必要があるでしょうか?あなたの教会コミ ュニティーにはどんな必要があるでしょうか?教会の外にはどんな必要があるでしょうか?
他の人に仕えるために、神はあなたにどんな賜物を与えてくれていますか?
あなたはどこから仕えることを始めますか?
1 詩篇 96篇10-13節、97篇1-2節、145篇1節、8-9節、13-19節
2 イザヤ書 9章7節、11章3-5節、32章1節、16-18節
3 ヨハネの黙示録 21-22章、ペテロの手紙 第二 3章13節
4 「ステップ10: 仕事」
5 使徒の働き 4章34節
6 ゼカリヤ書 7章9-10節
7 詩篇67篇、創世記12章
8 ローマ人への手紙12章、コリント人への手紙 第一 12-14章、エペソ 人への手紙 4章、ペテロの手紙第一 4章
9 使徒の働き 4章35節