ステップ10:仕事
イエスの働きに参加する
イエスの弟子の三つ目の目的はイエスの働きに参加することです。イエスは今もこの世界で神の国を広げるために働いています。クリスチャンとしてイエスの働きに参加すると聞いてまず思い浮かぶのは、伝道(ステップ8)や奉仕(ステップ9)ではないでしょうか。実はイエスは私たちの毎日の仕事を通しても神の国の素晴らしさを広げ ようとしています。神の創造した世界を私たちが大切に管理し、人々にとって役に立つものや美しいものを作り出すときに、私たちはこの世界でのイエスの働きに参加しています。
会社員でも、アルバイトでも、学生でも、子育てでも、家事でも、これらの働きは私たちの人生の大きな一部であり、毎日の時間や力の多くを費やすものです。ですから、この仕事という大きなトピックについて聖書が何を教えているのかをみていきましょう。私たちの仕事はこの世界でのイエスの働きに参加する方法の一つです。
仕事について良い印象を持っていますか、それとも悪い印象を持っていますか?
仕事は神がデザインしたものであり、良いものである
仕事という考え方は、聖書の一番初めの神が世界を創造した時の記述にすでに出てきます。
創世記 1章27-28節、2章15節
27 神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。28 神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。増えよ。地に満ちよ。 地を従えよ。 海の魚、 空の鳥、 地の上を這うすべての生き物を支配せよ。」…15 神である主は人を連れて来て、エデンの園に置き、そこを耕させ、また守らせた。
創世記の1〜2章では、世界は神様のデザイン通りの状態でした。人はまだ神への反乱を始めておらず、罪、死、 痛みなどの問題はまだこの世界にありませんでした。しかし、神のデザイン通りの世界は何もやることのない世界ではありませんでした。神は初めの人類に仕事を与えます。人に与えられた仕事は、エデンの園を耕して守ることでした。
神はすべての人を「神のかたち」に造りました。それは、神と特別な関係を持ち、神の創造した世界で特別な役割を持つということです。 1 人に与えられた特別な役割は世界を「支配」することでした。 支配と聞くと悪いイ メ ージがあるかもしれませんが、これは人の欲望のままに世界を好きなように使うことではありません。むしろ、世界に溢れている可能性を開拓して、 美しく人の役に立つものを作り出すことでした。
神が人に与えたのは、神の国の素晴らしさを世界に広げるという役割でした(それが「地に満ちよ。地を従えよ。…すべての生き物を支配せよ。」という言葉の意味です)。神は人を神の代理人(使節や管理人とも言うことができます)として、毎日の仕事を通して神の祝福と素晴らしさで世界を満たすように任命しました。
ここで大切なのは、仕事が堕落(人が神に罪を犯して反乱を始めた出来事で創世記の3章に書かれています)の前から存在したことです。ですから、仕事の存在は堕落の結果ではありません。仕事は、私たちが神のかたちに造られていること や神の国の働きに参加する一部なのです。罪が入り込む前の世界に仕事があったように、ヨハネの黙示録の21〜22章に書かれている完全にされた世界である新しい創造にも仕事はあります。そこでは、創世記の1章と同じように、神の国での仕事は王として治めることだと言われています。
ヨハネの黙示録 22章5節
5 彼らは世々限りなく 王として治める。
ですから、仕事は神がデザインした人のあるべき姿の一部です。
仕事や働きから喜びや満足を感じたことがありますか?
仕事は罪によって堕落してしまった
仕事は神の造った良いものですが、同時にたくさんのスト レ ス、痛み、苦しみの原因です。それはなぜでしょうか。創世記の3章からその理由がわかります。
創世記 3章17-19節
17 また、人に言われた。「あなたが妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、大地は、あなたのゆえにのろわれる。あなたは一生の間、苦しん でそこから食を得ることになる。18 大地は、あなたに対して茨とあざみを生えさせ、あなたは野の草を食べる。19 あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついにはその大地に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたは土のちりだから、土のちりに帰るのだ。」
人の罪の結果、世界は痛みの多い壊れた場所になってしまいました。そして、仕事も難しいものになり、たとえば農業をするときには茨やあざみとの戦いが必要になりました。 仕事は大変で、ストレスが溜まる、なかなか思い通りにいかないものになりました。さらには、仕事に対する人の向き合い方も壊れて間違ったものになってしまいました。しかし、その中でも、神は仕事の大変さを通して、私たちがイエスが全てを新しくするという将来の希望に心を向けられるようにしてくれています。2
バラ ンス
この世界も私たちの心も罪の影響を受けており、健 康的で神に喜ばれるワークライフバランスを見つけることは簡単ではありません。一方で怠けることは間違っていて、不満足や落胆に繋がります。しかしもう一方で、働きすぎも神に喜ばれることではありません。また、仕事は多くの時間を必要とするものであり、私たちの神との時間、家族との時間、教会コミュニティーと過ごす時間を奪ってしまう力を持っています。多くの場合、私たちが働きすぎるのは、優先順位が間違っているからです。神を愛して人々を愛すること以上に、生産性、成功、他の人(上司や同僚など)に認められること、社会での地位を気にしていると働き過ぎてしまいます。しかし私たちはクリスチャンとして、まず何よりも神を大切にし、次に家族を大切にし、そして仕事を大切にする健全なバランスを追い求めましょう。
仕事と人生(自分の時間、家族との時間など)のバランスを取るのが難しいと感じますか?
怠けてしまうことと働き過ぎてしまうことのどちらの誘惑が強いですか?
仕事はイエスキリストによって贖われた
贖いとは値を払って自分のものにすることです。神は私たちを罪の結果の中に見捨てることはしませんでした。神は罪の対価を払って壊れた世界を治すために、大切なひとり子であるイエスキリストを遣わしました。今もイエスを通して世界の贖いを部分的に経験できますが、いつか私たちを含めた世界の全てが完全に回復します。3
間違った動機で仕事をするときに、私たちは自分自身も周りにいる人たちも傷つけてしまいます。
どのような動機が間違った仕事の動機だと思いますか?
たとえば、よくある間違った仕事の動機の一つに貪欲があります。心が貪欲で満ちているとき、仕事を楽しむことは難しくなり、自分中心に周りの人々や地球の資源を搾取することにつながります。他の人に認められることも、よくある不健全な仕事の動機です。そうすると聖書的な価値観やビジョンを見失ってしまい、仕事が自分の価値を証明するものになり、人に仕えるために働くという 意味を失ってしまいます。
イエスキリストの福音は、私たちの仕事へのモチベーションをどのように変えますか?
イエスの福音が教えてくれるのは、私たちのア イデンティティーや価値は仕事の頑張りや結果にではなく、イエスキリストにあるということです。イエスが人に仕えるために自分を低くしたように、私たちにとっても自分の欲望を満たすことではなく、自分を捨てて人に仕えることが喜びになります。私たちは人に認められるためではなく、神を喜ばせるためにしっかりと働きます。
コロサイ人への手紙 3章23節
23 何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。
イエスの弟子だからといっていつも完璧な動機とバランスで働けるわけではありません。しかし、私たちにはより健全に働く理由があります。聖書が私たちに仕事の意味と危険性を教えてくれているからこそ、私たちの働き方は周りとは違うものになります。イエスを通して私たちは自分の仕事に満足、意味、目的を見出すことができるようになります。
私たちの仕事は神から与えられた大切な役割
神の仕事へのデザインを理解し、それがどのように罪の影響を受け、イエスによって贖われたのかを理解したとこ ろ で、私たちの仕事がどのように神のこの世界での働きとつながっているのかを考えてみましょう。
神はご自分の造った世界に必要なものを与えてくれてくれます。
詩篇 145篇15-16節
15 すべての目はあなたを待ち望んでいます。あなたは 時にかなって彼らに食物を与えられます。16 あなたは御手を開き生けるものすべての願いを満たされます。
究極的には神が自分の造った世界の必要を満たし、世界を維持しています。それこそ、神が造り主として喜びを持って果たしている役割です。しかし、神は世界を治めるという役割を直接的にではなく、神のかたちに造られた人類を代理人として行うようにと デザインしました。神はご自分の世界や人々を大切にして管理する働きを人を通しておこないます。
イエスは私たちに「私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください」と祈るように教えました。4 では、神はどのように毎日の食事を与えてくれるのでし ょ うか。もち ろ ん神が太陽や雨を与え、 食物が育つようにしてくれています。しかし、同時に神は農家の人たちを通して穀物を育てて収穫し、それを運ぶ トラックドライバーの人たちがいて、商品として宣伝する人たちや売る人たちもいます。ですから、私たちも自分の仕事を通して、神の造った世界を管理して大切にするための神の働きに、神の代理人として参加することになります。
初めから、神は人間が神の造った世界を大切に管理し、耕して守ることで人々の必要を満たすようにと定めていました。5 私たちがこの世界に神が置かれたものを使って、美しいものや役に立つものを作るときに、この世界での神の働きに参加することになります。
仕事の尊厳と価値
ですから、神の造った世界を大切にして管理する神の働きに参加する仕事には全て尊厳と価値があります。たとえば、清掃員の人はいろいろな場所を清潔で健康的に保ち、人々の人生をより良いものにします。家庭を守る人は家と家族に仕えます。教師は子どもたちを教え、 警察や消防隊員は社会を安全にし、管理職やマネージャーはさまざまな仕事をしている人たちが一緒に働けるようにします。 広告産業は人々が良いものや役に立つものを見つける手助けをし、営業、販売、配達で働く人たちは人々が良いものを入手できるようにします。
この壊れた世界では、人の罪や中毒につけ込むような仕事もあります。クリスチャンとして私たちはそのような働きを支持するべきではありませんし、自分自身もそのような働きに参加することがないように気をつける必要があります。
人の生活を少しでも良いものにする物を作ったり、売ったりしている会社や工場で働いているなら、 自分の仕事がつまらないように感じても、あなたの仕事は神が造った世界を大切にするという働きに参加する、 大切な仕事です。あなたは、あなたよりも、あなたの仕事よりも、あなたの地位や会社よりもはるかに大きな働きに参加しているのです。ですから、聖書は、私たちがどんな仕事をしているにしても、最善を尽 くして行うようにと教えています。クリスチャンは、人に対してではなく、神に対して働いている者として仕事をします。
あなたの仕事は、どのように神が造った世界を大切にすることに繋がっていますか?
聖書の視点は、あなたの仕事について考えることをどのように助けますか?
神の国と仕事
神の国の素晴らしさと祝福が世界の全ての人に、そしてあらゆる場所に広がっていくことが神の望んでいることです。ある神学者は、「この世界の人類の活動がある場所で、 万物の王であるキリストが 『私のものだ』 と叫ばない場所は一平方センチたりともない」と言いました。6
イエスもこのように言いました。
マタイの福音書 28章18節
18「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。…」
すべてのものがイエスの権威のもとに置かれていますが、世界の多くは今も本当の王であるイエスに反乱しています。7 イエスは神の国の祝福を広げるために働いていますが、それは暴力で力づくに行われるものではなく、 愛を通した働きです。
神の国を広げるという私たちの使命は、イエスの弟子としての働きの一つだというだけではなく、神が人間を造った目的とも繋がっています。創世記の1章28節とヨハネの黙示録の22章5節で読んだように、 仕事は「支配する」や「王として治める」と呼ばれています。しかし、それは力づくで治めるのではなく、愛を持って神が造った世界を大切にし、良いものや役に立つものを作り出していくことです。
イエスの働きは人々の霊的な人生を癒すことだけではありません。イエスはすべてのものの王であり、救いを私たちの人生の全ての側面に、肉体的にも、感情的にも、人間関係にももたらそうとしています。神は、神の国の祝福によって学校も、裁判所も、病院も、家庭も変えられることを望んでいます。牧師、伝道者、宣教師と同じように、医者、教師、技術者、銀行員、家庭を守る人たちなどはイエスの働きに参加しているのです。イエスの弟子が、政府の政策づくりに関与したり、学校で子供を教えたり、裁判所で不正義と戦ったり、人々の生活を向上させるものを作り出すときに、その人は神の国の働きに参加しています。
神はあなたの仕事を通してどのようにイエスの働きに参加するように招いているでしょうか。次の質問を考えてみてください。
あなたは何に情熱を持っていますか?
世界にはどんな必要があると思いますか?
神はあなたにどんな能力や機会を与えてくれていますか?
1 ファーストステップの「ステップ4」
2 ローマ人への手紙 8章18-25節
3 ヨハネの黙示録 21-22章
4 マタイの福音書 6章11節
5 創世記 1章28節
6 アブラハム・ カイパー
7 ヘブル人への手紙 2章8節