ステップ3:賛美
イエスと共に過ごす
クリスチャン人生の一つ目の目的はイエスと共に過ごすことです。イエスは私たちといつも共にいてくれる方なので、ここで学んでいる「聖書」「祈り」「賛美」は、私たちの心をイエスに向けて、イエスと共にいることを楽しむための方法です。 1
聖書を読んで祈ることで、私たちは神と会話をします。聖書を通して神が私たちに話しかけ、私たちは祈りで神に話しかけます。 賛美は神との会話から溢れる神への自然な反応です。 賛美とは神を讃える祈りで、聖書を通して示された真理への私たちの応答です。
賛美の簡単な定義を紹介します。
賛美は神がご自身について示されたことと私たちにしてくださったことへの応答として、神に感謝して礼拝することです。
イエスの人生から、 賛美の例を見ていきましょう。
ルカの福音書 17章11-19節
11 さて、イエスはエルサレムに向かう途中、サマリアとガリラヤの境を通られた。 12 ある村に入ると、 ツァラア トに冒された十 人の人がイエスを出迎えた。 彼らは遠く離れたとこ ろに立ち、 13 声を張り 上げて、「イエス様、 先生、私たちをあわれんでください」と言った。14 イエスはこれを見て彼らに言われた。「行って、 自分のからだを祭司に見せなさい。」すると彼らは行く途中できよめられた。 15 そのうちの一人は、 自分が癒やされたことが分かると、 大声で神をほめたたえながら引き返して来て、 16 イエスの足もとにひれ伏して感謝した。 彼はサマリア 人であった。 17 すると、イエスは言われた。「十 人きよめられたのではなかったか。 九人はどこにいるのか。 18 この他国人のほかに、神をあがめるために戻って来た者はいなかったのか。」 19 それからイエスはその人に言われた。「立ち上がって行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」
この話から学べることはいくつもありますが、ここでは次のことに注目してみましょう。
一つ目に、イエスは十 人のツァラア トに冒された人を癒しました。 2 イエスは彼らをあわれみ、助け、 彼らの人生を変えました。
二つ目に、そのうちの一人(サマリヤ人)はイエスが自分にしてくれたことに気がつき、「大声で神をほめたたえながら引き返して来て、イエスの足もとにひれ伏して感謝」しました(15-16節)。
三つ目に、それは正しい反応でした。イエスはなぜ他の人たちが引き返してこなかったのか尋ねています。
四つ目に、イエスに感謝して賛美することは、神に感謝して賛美することです。なぜなら、イエスは神の子だからです。
もう一度、 賛美の簡単な定義を確認しましょ う。
賛美は神がご自身について示されたことと私たちにしてくださったことへの応答として、神に感謝を捧げて礼拝することです。
日常の中での例を考えてみてください。私たちも誰かに助けてもらったり優しいことをしてもらったときには、感謝を示します。助けてもらっても感謝しないと、失礼な人だと思われます。
誰かにとても良いものをもらったときにどのように反応しますか ?
誰かに優しくしたときにどのように反応して欲しいですか ?
イエスは十 人を癒したのに、引き返してきて賛美と感謝をしたのは一人だけでした。癒された十 人のうち、神を賛美するために引き返した一人だけが、最高の祝福であるイエスと共にいることを楽しむことができました。
クリスチャン人生のあらゆる部分が、私たちに対する神の恵みです。神が私たちを創造し、 救ってくれたというような大きなことだけでなく、神は日々の食事や住む場所を与えてくれています。これらの恵みはすべて神からの一方的な恵みであり、当たり前に受け取るべきではありません。神がなにをしてくれたのかを思うと、感謝して賛美を捧げることは当然のことです。 静かに時間をとって、神の存在と行いを賛美するときに、私たちは神と共にいることを意識することができます。
では、具体的に賛美を通して神が共にいることを意識する方法を三つのレベルで見ていきましょう。
レベル1
立ち止まって感謝する
レベル2
集まって賛美を歌う
レベル3
聖餐式
レベル1: 立ち止まって感謝する
毎日の中でイエスと共に過ごすための最も基本的な方法は、一日を通して神に感謝することです。 先ほど見たように、 ツァラア トから癒された人は立ち止まり、 引き返してきて神を賛美してイエスに感謝しました。
イエスの地上での生活を見ると、いつも父なる神が共にいることを意識していました。聖書にはイエスが神に感謝する時間を持っている例がいくつか出てきます。
ルカの福音書 10章21節
21 ちょうどそのとき、イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の主であられる父よ、あなたをほめたたえます。…」
ヨハネの福音書 11章41節
41 イエスは目を上げて言われた。「父よ、わたしの願いを聞いてくださったことを感謝します。…」
神はあなたの人生にどんな永遠のプレゼントを与えてくれていますか?(例えば…義とされること)
神はあなたに今日、どんな日々の贈り 物を与えてくれていますか?(例えば…いい天気)
永遠のものでも一時的なものでも、すべての良いものは神が与えてくれていると聖書は教えています。3 それは、それが神からの贈り物であることを認めて感謝するためです。4 神を無視して与えられているものだけを大切にするなら、そのものは偶像として私たちが神よりも大切にするものになってしまいます。 5立ち止まり、すべての良いものは神が与えてくれていると思い出すときに、神が共にいてくれていることを意識することができます。
イエスの時代に神を大切にしていた人々は、一日を通して立ち止まって神に感謝する習慣を持っていました。 食べたり飲んだりなどの日常的なことのたびに神に感謝していました。たとえば、 状況に合わせた感謝の祈りの言葉を暗記すれば、 立ち止まって神に感謝する助けになります。現代のクリスチャンが毎日の中で神に感謝するために使える祈りの言葉をいくつか紹介します。
食事の前に
「天のお父さん、今日も食事を与えてくれてありがとうございます。全ての良いものはあなたが与えてくれるものです。」
実家に帰ったとき
「天のお父さん、私の家族を感謝します。そして、教会というキリストにある永遠の家族を感謝します。」
自然の中で
「天のお父さん、 感謝します。あなたは正しい者にも正しくない者にも太陽を輝かせ、 風を吹かせ、 雨を降らせ、 木を成長させてくれます。あなたのあわれみは本当に大きいです。」
立ち止まって感謝するための祈りを自分の言葉で考えてみましょ う。
_____________________の時に
天のお父さん、 感謝します。 __________
覚えた言葉で祈るにしても、その場で祈るにしても、大切なのはどんなことでも立ち止まって神に感謝することです。どんな時にでも立ち止まって神に感謝しましょ う。
神が与えてくれているもので、当たり前のように受け取ってしまっているものはありますか?
どのようにすれば毎日の中で立ち止まって感謝できるようになると思いますか?
レベル2:集まって賛美を歌う
クリスチャンは集まって神に賛美を歌います。おそらく 礼拝はすでにあなたの毎週のリズムの一部だと思います。集まって礼拝することの大切さは旧約聖書にさかのぼります。旧約聖書には、神が奴隷の状態にあった人々を救い出し、神を礼拝するために集める場面があります。6 同じように、教会は神が呼び出し、神を礼拝するために集めた人々です(新約聖書がもともと書かれた言葉では、「教会」は「人の集まり」という意味です)。もちろん個人として神を礼拝する時間も大切ですが、 同時に神に集められた人々 として集まって神を賛美する時間はなくてはならないものです。7 新約聖書でパウロは、ある教会の人々をこのように励ましています。
コロサイ人への手紙 3章15-17節
15 キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのために、あなたがたも召されて一つのからだとなったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。 16 キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい。知恵を尽 くして互いに教え、忠告し合い、詩と賛美と霊の歌により、感謝をもって心から神に向かって歌いなさい。 17 ことばであれ行いであれ、何かをするときには、主イエスによって父なる神に感謝し、すべてを主イエスの名において行いなさい。
この箇所からいくつか大切なことがわかります。
クリスチャンが集まる時には、神に「詩と賛美と霊の歌」を歌います。
神に感謝の心を持つことが、 集まりの前にも、間にも、そして礼拝の時間を超えて大切にされています。
教会として集まって神に感謝して礼拝することが、イエスが私たちと共にいることと繋がっています。
「キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。」(15節)
「キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに
住むようにしなさい。」(16節)
イエスが復活してす ぐ に、教会は神に感謝して礼拝するために集まり始めました。
使徒の働き 2章46-47節
46 そして、 毎日心を一つにして宮に集まり、 家々でパンを裂き、 喜びと真心をもって食事をともにし、 47 神を賛美し、 民全体から好意を持たれていた。
神に賛美を歌うために集まるとき、私たちは自分の人生において、また歴史を通して(1)神がどんな方であるか、(2)神がどんなことを行なわれたかを覚えて感謝します。
教会として毎週集まって神を賛美することは、神と時間を過ごし、共におられる神に意識を向けるための大切な時間です。クリスチャンは歴史を通して日曜日に集まってきましたが、それは日曜日にイエスが死からよみがえったからです。 8 イエスの十字架、復活、 昇天こそ神がどれだけ偉大な方で私たちのためにどんなことをしてくれたのかを最もはっきりと示す出来事です。そして教会が集まる時には、聖餐式を通して、このメ ッセージを告げ知らせます。
教会として集まって賛美することを大切にしていますか ?
教会として集まるのが大切なのはなぜですか ?
レベル3: 聖餐式
パンと杯を通してイエスの十字架での死を覚えることを「聖餐式」や「主の晩餐」と呼びます。これは、「ユーカリスト」とも呼ばれることがありますが、この言葉は「感謝する」という 意味のギリシャ語から来ています。
コリント人への手紙 第一 11章23-26節
23 私は主から受けたことを、あなたがたに伝えました。すなわち、 主イエスは渡される夜、 パンを取り、 24 感謝の祈りをささげた後それを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのための、わたしのからだです。 わたしを覚えて、これを行いなさい。」 25 食事の後、同じように杯を取って言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。 飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。」 26 ですから、あなたがたは、このパンを食べ、 杯を飲むたびに、 主が来られるまで主の死を告げ知らせるのです。
ここでイエスがささげた感謝の祈りは、おそらくユダヤ 人が伝統的に食事の前とワインを飲む前にささげていた感謝の祈りです。今の私たちは、 食事やワインよりもさらに大切ないのちのパンであるイエスキリストを感謝することができます。9
イエスは「わたしを覚えて」 パンを食べ杯を飲むようにと言いました。教会は聖餐式を行うことで、イエスの十字架上での死だけでなく、イエスが復活して今も生きていること、そしていつかまたこの世界に来られることを覚えます 。そきたれは、今は肉体を持って共にいるわけではないイエスといつか来るべき世で共に食事をすることに心を向けることです。10 イエスが来られるのを待っている間、私たちは聖餐式を通してイエスがその御霊によって共におられることを楽しみ、神が何よりも大切なひとり子であるイエスを与えてくれたという素晴らしい贈り物に感謝します。
イエスを見ることで、私たちは神がどんな存在かをはっきりと知ることができます。イエスの人格、受肉、人生、死、復活、昇天が何よりも優れた神の啓示です。イエスは神がど んな方かを示し、神が私たちにしてくれたことを現します。11 ですから、私たちが聖餐式で神に感謝するとき、キリストにあって与えられているあらゆる霊的な祝福を神に感謝することになります。12
イエスのことを神に感謝して賛美することは、神の存在を意識して楽しむことです。イエスこそ「インマヌエル・共におられる神」です。13
聖餐式のたびに、イエスのことを神に感謝していますか ?
どのようにすれば、聖餐式が神が共にいることを意識するための時間になりますか ?
このステップを実践する
クリスチャンは日曜日にだけ神を礼拝するのではありません。 月曜日から土曜日まで毎日が神を礼拝する日です。
このステップで学んだ三つのレベルのうち、あなたがすでに行っているものはありましたか ?
これから行いたいのはどれですか ?
1 マタイの福音書 28章20節
2 1世紀のツァラアトはとても伝染力の高い皮膚病でした。ツァラアトにかかると、町外れの隔離施設に入れられ、家族や友人にも会うことができませんでした。社会から隔離され、多くの人が孤独と恥の中で一生を終えました。
3 ヤコブの手紙 1章17節
4 使徒の働き 14章17節
5 ローマ人への手紙 1章25節
6 出エジプト記 3章12節
7 ヘブル人への手紙 10章25節
8 使徒の働き 20章7節
9 ヨハネの福音書 6章35節
10 ヨハネの黙示録 19章9節
11 ヨハネの福音書 1章14節、18節、ローマ人への手紙 5章8節、コロサイ人への手紙 1章15節、2章9節、ヘブル人への手紙 1章3節
12 エペソ人への手紙 1章3-14節
13 マタイの福音書 1章23節