ステップ4:信仰
イエスのようになる
クリスチャン人生の初めの目的は「イエスと共に過ごす」でした。ここからは、イエスの弟子の二つ目の目的である「イエスのようになる」を学んでいきます。イエスの弟子は、イエスが歩んだように人生を歩もうとします。
ヨハネの手紙 第一 2章6節
6 神のうちにと どまっていると言う人は、 自分もイエスが歩まれたように歩まなければなりません。
指導者の真似をすることで何かを学んだことがありますか? たとえば、ダンス、習字、武道、運転などはどうですか ?
師匠に従って何かを学ぶときには、なるべく師匠の行うことをそのまま行います。何かが違うと、師匠がストップをかけて間違いを指摘し、正しくできるようにもう一度チャ レ ンジします。
もしイエスがあなたの人生を生きていたらと想像してみてください。イエスがあなたの家族を持ち、 あなたの仕事をして、あなたの同僚たちと時間を過ごし、
あなたの車を運転し、ときには運転中に横入りされ、同僚から嫌なことをされていると想像してみてください。あなたが毎日経験する出来事に、イエスだったらどのように対応するでしょ うか。
では、それぞれのシチュエーションで、あなたがイエスと同じように振る舞うとこ ろを想像してみてください。どれくらい、イエスのようにできるでしょ うか。
私たちは毎日何回もイエスのように生きることに失敗します。その度にがっかりするかもしれませんが、イエスは私たちの弱さを知っています。イエスは、弱さを持つ私たちと共に歩み、イエスのように生きる方法を教えてくれます。
イエスと共に生きていく中で、私たちはイエスのように変えられていきます。それは、悔い改め、信仰、そしてイエスに従うというプロセスを通して起こっていきます。この三つは、イエスの弟子が毎日行うべきことです。
マルコの福音書 1章14-18節
14 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言われた。15「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」16 イエスはガ リラヤ湖のほとりを通り、シモンとシモンの兄弟アンデレが、湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師であった。17 イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげ よう。」18 すると、彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従った。
では、悔い改め、信仰、イエスに従うという三つがどのように私たちをイエスに似たものへと変えていくのかをみていきましょう。
行動1
悔い改め
行動2
福音を信じる
行動3
従う
行動1:悔い改め
悔い改めとは心を改めるという意味の言葉です。それは、心のUターンをするということで、私たちの心と行動の両方に影響します。このUターンが初めに起こるのが、私たちがクリスチャンになる時です。クリスチャンになる時の悔い改めによって、私たちが忠誠を誓って仕える相手が変わりました。もともと私たちは自分自身を主人として生きていましたが、クリスチャンになるときに、悔い改め、イエスを信じ、イエスを主人として従い始めました。
けれども、 悔い改めは私たちがクリスチャンになるときに一度だけ行うものではありません。 宗教改革で有名な神学者マーティン・ルターはこのようにクリスチャン人生を表現しました。
「私たちの主であり主人であるイエスキリストが『悔い改めなさい』と言われたのは、信じるものの人生すべてが悔い改めの人生となることを意図していた。」
ですから、私たちはイエスの生き方から外れてしまうたびに悔い改めます。 同僚に怒って接したり、 欲望に従ってしまったり、神と人々に愛から離れたことを行なってしまうたびに、 毎日、 悔い改めが必要です。
では、 どのようにすれば自分がイエスの生き方から外れてしまっているとわかるのでしょう。それを私たちの心に教えてくれるのが聖霊です。 1 たとえば聖書を読むこと、聖書の教えを聞くこと、一日を振り返ることなどを通して聖霊が私たちに罪を明らかにしてくれます。
私たちは失敗をして罪を犯すとき、 成長につながらない方法でそれに対処してしまいます。 自分が罪を犯したと気がついたときには…
隠さないでください
創世記の3章で初めに罪を犯した人は、それを隠そうとしました。彼らは罪の責任と恥を感じて、神からも互いからも隠れようとしました。私たちも罪を犯すときに、 悔い改める代わりにそれを隠そうとしてしまいます。神が、イエスにあって私たちの罪と恥を取り除いてくれたことを忘れないでください。
正当化しないでください
私たちは罪を犯したときに、それに理由をつけて正当化する誘惑を感じます。「あの人がもっと礼儀正しかったら、 自分だってもっと優しくできたのに…。」私たちはすでにイエスキリストへの信仰によって正しいものとされているので、 自分で正しさを証明する必要はありません。
自分を責めないでください
罪を犯してしまうと自分を責めたり、 悪魔があなたを責める声が聞こえるかもしれません。しかし、イエスキリストにあるものが罪に定められることは決してありません。 2 聖霊は罪を明らかにして悔い改めへと導きますが、クリスチャンの罪を責めることはありません。
代わりに何かをやることで、罪を埋め合わせようとしないでください
罪を犯してしまうと、代わりに良いことをして埋め合わせようとしてしまいます。そのような動機で行う 良いことは健全ではなく、私たちをキリストに似たものに変えることはありません。私たちが何かやることで神の愛を変えることはできません。キリストにあって神は完全に私たちを愛してくれています。
むしろ、本当の悔い改めのしるしは次のようなものです。
罪を認めましょう。
悔い改めの初めの一歩は自分の行った間違いを見つけて、認めることです。私たちは「怒 って夫・ 妻に怒鳴 ってしまいました」という代わりに、「今日は罪の誘惑が強かったです」などと言って具体的な告白を避けてしまいます。そうではなく、 具体的に罪を認めることが大切です。
罪を告白しましょう。
次に、神に対して罪を告白する必要があります。 3 神はあなたを赦してくれます。聖書は互いに罪を告白し合うことも、クリスチャンの行うべき大切なこととして教えています。 特にあなたの罪が他の人にも影響を与えるものなら、その人にも告白するべきです。4
罪を悲しみましょう。
次に罪に相応しく対応する必要があります。 正しい悔い改めと罪への悲しみは、私たちを神へと近づけます。5
自分の心を理解しましょう。
その罪の裏にはどんな心の動機、偶像、恐れ、プライドが隠れているのかを探しましょ う。
日々の悔い改めとは具体的にどういうこと?
聖霊は、私たちが聖書を読んだり、聖書に照らし合わせて自分を振り返ることを通して罪(神に従う生き方に反することを考えたり、行なったり、言ったりすること)を明らかにしてくれます。そんな時には、時間をとって罪を悔い改めましょう。
例えば、車や自転車に乗っているときに横入りされたことにムカついて、怒鳴ったりクラクションを鳴らしたりしたとします。後からそれは罪だったと感じます。時間が経ってこのことを忘れてしまう前に、一息ついて心を落ち着かせ、祈りの中で神に悔い改めましょう。
詩篇 32編1-5節
1 幸いなことよその背きを赦され 罪をおおわれた人は。
2 幸いなことよ主が咎をお認めにならずその霊に欺きがない人は。
3 私が黙っていたとき 私の骨は疲れきり私は一日中うめきました。
4 昼も夜も 御手が私の上に重 くのしかかり骨の髄さえ 夏の日照りで乾ききったからです。(セラ)
5 私は自分の罪をあなたに知らせ
自分の咎を隠しませんでした。私は言いました。「私の背きを主に告白しよう」と。すると あなたは私の罪のとがめを赦してくださいました。(セラ)
行動2:福音を信じる
罪を悔い改めた後にするべきことは、福音を信じ ることです。イエスの良い知らせ(福音は良い知らせという意味です)を信じることがなければ、 悔い改めはただ罪を認めるだけの希望のない行為です。そして福音を信じることなしに、私たちは自分自身を変えることはできません。罪をやめて神に従うためには、福音を信じることが必要です。
福音を信じ ることは、クリスチャンになるときに一回だけ行うことではありません。
コロサイ人への手紙 2章6-7節
6 このように、あなたがたは主キリスト・イエスを受け入れたのですから、キリストにあって歩みなさい。7 キリストのうちに根ざし、建てられ、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかりに感謝しなさい。
福音を信じることでクリスチャンになった私たちは、福音を信じることでクリスチャンとして成長し続けます。私たちは信仰によって正しい者とされたように、信仰によって聖なる者へと変えられていきます。6 私たちはイエスの福音を信じることによって、イエスの姿へと変えられていくのです。
私たちが信仰によってイエスの姿に変えられていくには二つの方法があります。
初めにそれは、福音の恵みを信じることによってです。
罪を認めて悔い改めた後には、福音を信じる必要があります。福音とは、「イエスの死によって神がすでに私たちの全ての罪を赦してくれた」という良い知らせです。イエスが私たちの罪の罰を全て払い、全ての罪を取り除いてくれたので、私たちはもう罪悪感や恥を感じる必要はありません。
もし私たちが赦しを得るために罪を辞めようとするのなら、行動は変えることができても、心は神から離れたままです。しかし、私たちがキリストにあるというそれだけの理由で神に赦されて受け入れられていると信じるならば、私たちの心が変えられ、行動もそれに伴って変えられていきます。
ひっかけ問題です。
空のコップから空気を外に出す最も単純な方法はなんでしょう ?
最新の技術を駆使して真空状態を作ることが思いつくかもしれません。 実は最も簡単な答えは、コップを水分で満たすことです。 空気を吸い出すよりも、他のものを入れて押し出すことの方が簡単なのです。福音は神が私たちを救い、私たちを何よりも満たす神との関係を与えてくれたという素晴らしい知らせです。この福音を知るときに、私たちの心は神への愛で満たされて、それが私たちの罪への愛を追い出します。
ですから、悔い改めた後には福音を信じて、イエスにあって神がどんなに良いことをしてくれたのかをしっかり心に染み込ませましょ う。
悔い改める必要のある罪:
お金への愛
他者への怒りや恨み
不安・ 恐れ
人の目を気にして嘘をついたり 自分を偽る
行動 3:従う
毎日をイエスの弟子として生きていく中で、イエスの生き方から外れてしまうことはたくさん、たくさんあります(それが罪です)。言葉でも、行動でも、思いや考え方でも、イエスの生き方から外れてしまうたびに、私たちは悔い改めて福音を信じます。それに続いて私たちに必要なのは、イエスの生き方に戻ってイエスに従うことです。
何回も繰り返し練習することで、新しいことをできるようになった経験がありますか ?
例えば、 自転車に乗ること や、新しい言葉を学ぶことなどです。人生を通してイエスのかたちに変えられていくことも、 同じようにたくさんの練習が必要です。 家族に間違った話し方をしてしまうこともあれば、 同僚に罪を犯してしまうこともあります。罪深い考えが頭には浮かんできます。けれども、 悔い改めて福音を信じた後に、私たちはまた職場に戻り、 家族と会話をし、またイエスのように生き、行動し、 話し、考える機会があります。
そして、私たちがイエスに従うことができるのは、聖霊を通してイエスご自身が私たちと共にいてくれるからです。
ガラテヤ人への手紙 5章16節、25節
16 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことは決してありません。… 25 私たちは、御霊によって生きているのなら、御霊によって進もうではありませんか。
御霊によって歩み、 御霊によって進むとは、 毎日をイエスの生き方に従って生きることです。その中で御霊が私たちの全ての行動、言葉、 思いを導いてくれます。
ある意味で御霊はライフコーチのような存在です。けれど御霊はどんなライフコーチなのでしょ うか。イエスは聖霊を私たちの「助け主」と呼んでいます。「助け主」は「私たちの横に立ち、 語りかけてくれる存在」という意味の言葉です。なので、聖霊はあなたの前を進んで前から引っ張る方ではなく、あなたを後ろから押してなんとか前に進ませる方でもありません。聖霊は私たちの横で私たちと共に歩み、私たちが一歩ずつイエスの生き方に従っていく助けをしてくれます。
イエスのようになることは、私たちが変えられていくプロセスです。す ぐに起こるわけではありません。今の人生で完成するプロセスでもありません。13 しかし、私たちは「悔い改め→信仰→従う」というサイクルを毎日続けていく中で、イエスのようにどんどん変えられ成長していきます。
私たちは今の世ではイエスのように完全で罪のない存在になることはありません。ですから、クリスチャンとして成熟することはただ犯す罪が少なくなることではありません。むしろ、クリスチャンとしての成熟は、罪を犯した時により自然に素早 く、悔い改め、信じ、イエスに従うようになることです。
「悔い改め」「福音を信じる」「イエスに従う」という三つの中で新しいものはありましたか?
あなたにとってはどれが難しいですか?どれが簡単ですか ?
1 ヨハネの福音書 16章8-11節
2 ローマ人への手紙 8章1節
3 ヨハネの手紙 第一 1章7節
4 マタ イの福音書 5章23-24節、 ヤ コブの手紙 5章16節
5 ヤ コブの手紙 4章8-10節、 コリント人への手紙 第二 7章10節
6 神の前で正しいものとされることを「義認」、聖なるものに変えられていくことを「聖化」と呼びます。
7 ローマ人への手紙 5章10節
8 エペソ人への手紙 1章3節
9 ヘブル人への手紙 13章5節
10 マタイの福音書 18章21-35節
11 詩篇 23編
12 ローマ人への手紙 5章8節
13 ピリピ人への手紙 1章6節