ス テ ッ プ 1:聖 書

イエスと共に過ごす


ク リ ス チ ャ ン 人 生 の 一 つ 目 の 目 的 は イ エ ス と 共 に 過 ご す こ と で す 。実 際 に は イエスはいつも私たちと共にいます。しかし、私たちは他のことに気を取られ、 イエスが共にいることをすぐに忘れてしまいます。ですから、ここでの目的は イエスが共にいることを意識する方法を学び、成長し、楽しんでいくことです。

聖書を読むことは、そのための大切なステップです。

あなたはなぜ聖書を読みますか?


なぜ聖書を読むのか?

おそらくクリスチャンになる前は、書かれている内容を学ぶために聖書を読ん でいたと思います。もちろん学びは聖書を読む大切な理由です。しかし、実は それよりももっと大切な理由があります。それが、神との交わりです。

どうして聖書のような古い本を読むことが、神が共にいることを意識すること につながるのでしょう。今から見ていきますが、聖書はただの人間が書いた本 ではなく、生きる神の言葉です。マタイの福音書の中でイエスが神の言葉について語っていることを読んでみましょう。

マタイの福音書 4章1-4節

1「そ れ か ら イ エ ス は 、悪 魔 の 試 み を 受 け る た め に 、御 霊 に 導 か れ て 荒 野 に 上 っ て 行 か れ た 。2 そ し て 四 十 日 四 十 夜 、 断 食 を し 、そ の 後で 空 腹 を 覚 え ら れ た 。3 す る と 、試 み る 者 が 近 づ い て 来 て 言 っ た 。 「あなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じなさい。」4 イエスは答えられた。「人はパンだけで生きるのではなく、 神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」

 

 

イエスは神の霊に導かれて荒野に行きました。そこで断食と祈りをして、 「空腹を覚えられた」とあります。そこに、この機会を利用してイエスを誘惑し ようとサタンがやってきます。1 イエスは、旧約聖書の申命記の言葉を用いて

サタンの誘惑に答えます。ここでイエスが言っているのは、自分には神と神 の言葉が必要で、それなしでは生きることができないということです。実際に、 神の言葉なしでは誰も本当のいのちを生きることはできません。

少 し 考 え て み て く だ さ い 。私 た ち は 毎 日 、食 べ 物 を 必 要 と し て い ま す 。ま た 毎秒、酸素を必要としています。イエスは、食事や酸素が必要なのと同じよう に、私たちには神の言葉が必要であると言っています。

もう一つのたとえです。誰かと良い関係を持っていれば、その人と会話をして 一緒に過ごす時間を楽しみます。相手に話しかけ、相手の話を聞きます。話す ことは人との関係の土台であり、頂点でもあります。人との関係は会話によって はじまり、会話によって発展し、維持されます。そして、会話によって互いの ことを知ることで得られる関係の深さや密接さこそが、人との関係から得ら れ る 最 高 の 状 態 で す 。同 じ よ う に 、神 と の 関 係 の 土 台 も 会 話 で す 。私 た ち は

聖書によって神の言葉を聞き、祈りによって神に語りかけます。そしていつか 神との関係が完成するときには、私たちは顔と顔を合わせて神と会話し、神をはっきりと知り、神にはっきりと知られます。

もう少し具体的に考えてみましょう。どのようにすれば、聖書を通して神が共 にいることを楽しむことができるのでしょうか。聖書を読むことで神との時間 を過ごすための方法を三つのレベルで紹介します。それぞれのレベルが一つ 前のレベルからの発展なので、順番に実践してみてください。難しすぎるよう に感じるものがあっても心配せずに、最初のレベルから始めてください。それ ぞれのレベルが、神が共にいることを意識するという目的へと私たちを導いてくれます。

 

 

レベル1

聖書を読む

 

 

レベル2

聖書を学ぶ

 

 

レベル3

聖書を黙想する


レベル1:聖書を読む

クリスチャンはイエスの弟子として聖書を読みます。そもそも聖書とは何なの でしょうか。使徒パウロがテモテという人に聖書について書いた箇所を読んでみましょう。

テモテへの手紙 第二 3章14-17節

14 「けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。 あなたは自分がだれから学んだかを知っており、15 また、自分が 幼いころから聖書に親しんできたことも知っているからです。聖 書はあなたに知恵を与えて、キリスト・イエスに対する信仰による 救いを受けさせることができます。16 聖書はすべて神の霊感による もので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。17 神の人 がすべての良い働きにふさわしく、十分に整えられた者となるため です。」

 

 

ここから聖書について大切なことがわかります。

聖書の範囲

この箇所をギリシャ語で読むと、パウロが聖書を指して「聖書」と「聖書はすべて」 と訳されている二つの違う言葉を使っていることがわかります。テモテが 幼いころから親しんできた「聖書」は、創世記からマラキ書までの旧約聖書に 収められている39の書物のことです。「聖書はすべて」と書かれている部分に は、パウロがこの手紙を書いた時にはすでに聖書として認められていた新約聖書の書物も含まれていることが示唆されています。2 なので「聖書はすべて」 に は 旧 約 聖 書 と 新 訳 聖 書 を 合 わ せ た 6 6 の 書 物 が 含 ま れ て い ま す 。そ れ 以 外 の書物はどんなものでも聖書には含まれません。

聖書の性質

パウロは聖書が神の霊感によって書かれたもので、「聖」なる「書」物である と言っています。聖書は人間の著者によって書かれたものですが、同時に神の 霊感によって書かれたということです。神は、聖書が神の望む通りの形になる ように人間の著者を導き、それを人間の著者が特定の時代、人々、文化の中で自分の言葉を使って書き記しました。では、この聖書の特徴がどのように私たち の聖書の読み方に影響するのかを考えてみましょう。


「 神の霊感によるもので」

このフレーズ( 原 語では一単 語 )は聖書が神から与えられたもので、聖書に書かれている言葉が霊感による(神の息吹である)神の語られた言葉だ ということを強調しています。聖書は神の言葉であって、今日でも神は聖書を 通して私たちに語りかけています。では、神の霊感による神の言葉として聖書にはどんな特徴があるのでしょう。

聖書には誤りがない。

聖書の著者はそれぞれが自分の言葉を使いながら、神が望まれた 通りの言葉を書き記しました。聖書の言葉には誤りがありません。3

聖書には権威がある。

聖書は人の教えではなく、神の教えであり、権威があります。4

聖書には力がある。

聖書の言葉は神の思いと働きを成し遂げる力を持っています。5

聖書は十分である。

聖書は神の啓示として完成されたものです。聖書を超える聖なる 書 物 は 与 え ら れ る も の で は な く 、必 要 で も あ り ま せ ん 。聖 書 を 通して神は私たちが神に従って生きるために必要なすべてを教えてくれています。6


どのように聖書を読めばいいの?

聖書を読む習慣を身につける

私たちの忙しい毎日では、意図的に時間を作らなければ聖書を読む時間を 持つことはできません。一文でも、一ページでも、一つの書でも、まず毎日聖書を読むことから始めてください。

計画を立てる

毎日聖書を読むためには計画が大切です。計画には聖書のどの部分をどれだけ読むのかや、いつ、どこで聖書を読むのかを含めましょう。

聖書を読む計画の例を紹介します。

どれだけ

旧約聖書1章と新約聖書1章

いつ

6:30am 仕事に行く前に

どこで

ダイニングテーブルで

いろいろな読み方をする

状況に合わせて 、さまざまな聖書の読み方ができます。例えば、聖書の一部を暗記してみましょう。一度に長い箇所を一気に読んでみましょう(新約聖書の手紙の全体など)。短い箇所をゆっくり時間をかけて読んでみましょう。音読したり、オーディオ聖書を聞いてみましょう。聖書を読みながら注解書を読んだり、スタディーバイブルのコメントを読みましょう。考えたことや感じたこと、質問などを書き留めましょう。

ただ大切なことは、聖書を読むことを難しく考えすぎないでください。まずはシンプルに聖書を開いて読み始めましょう。そうする中で神が共におられ、 神の言葉を通して語りかけてくださることに意識を向けましょう。


レベル2: 聖書を学ぶ

神は聖書を通して私たちに語りかけてくれます。ですから、私たちは神の言葉 を正確に聞こうと努力する必要があります。そのためには、聖書を学び、神の 言葉を正しく解釈する必要があります。テモテへの手紙 第二 の三章で出てくる「聖書」という言葉は「聖なる書物」という意味です。

聖なる書物

聖書は、天国で編集と印刷をした完成した本を天使たちが地上に届けるという 方法で与えられたわけではありません。神は人間をとおして語ることを選び ました。だからといって、聖書が人間の解釈や意思によって生み出されたという わけではありません。聖書は預言として「聖霊に動かされた人たちが神から 受けて語ったものです」。7 聖書は特定の歴史、文化、言語の中で与えられた ものなので、聖書を読む時にはそれを考えて読む必要があります。聖書を読んでその意味や適用を考える時には、以下のような点に気をつけてください。

• 著者の意図した意味。

• それぞれの箇所の文脈。この文はどのような箇所に属し、この箇所 はどのような本に属し、この本はどんなジャンルの本なのか。

• 著書の文化的背景。もともと誰に向けて書かれたものなのか。 どの年代にどの場所で書かれたのか。

• 聖書が書かれたことばの言語的背景(おもに旧約聖書はヘブル 語で、新約聖書はギリシャ語で書かれています)。

• 自分の思いを聖書に押しつけずに、聖書が語ろうとしている意味 を読み取ろうとしているか。

• 聖書の一貫性。聖書は多くの人間の著者によって書かれていますが、究極的には唯一の神が書いたものなので、矛盾することはありません。

聖書を自分で読んで理解するのは難しすぎると感じるかもしれません。安心 してください。私たちが完全に理解できなくても、神は聖書を通して私たちに 語りかけてくださいます。それでも、私たちは簡単に聖書の言葉を誤解したり 誤って解釈してしまうということも覚えておきましょう。聖書を学んで人生に適用するのには注意が必要です。

聖書を理解する方法を学ぶ一番の方法は、信頼できる牧師による聖書の説明 を聞くことを習慣にすることです。聖書の中でも、教会の歴史でも、人々が神 のことばに触れる最も一般的な方法は、神の民の集まりです。8 クリスチャン が教会として集まって神のことばを聞くのは、イエスが私たちと共にいること を意識する時間になります。

また、聖書は神の言葉なので、私たちは神ご自身が私たちに理解する力を 与えてくれるように求めることができます。9 聖書を学ぶ前に神が聖書の言葉 を通して語ってくれるように短くでも祈りましょう。詩篇119篇18節は、このような時にぴったりの祈りです。「私の目を開いてください。私が目を留めるようにしてください。あなたのみおしえのうちにある奇しいことに。」


レベル3: 聖書を黙想する

「黙想」という言葉から何を思い浮かべますか?


他の宗教の黙想とクリスチャンの黙想は全く違います。他の宗教では、心を 空にするために黙想を行います。しかし、クリスチャンが黙想するのは、自分 の心と思いを神の言葉で満たすためです。

詩篇 1篇1-2節

1 幸いなことよ悪しき者のはかりごとに歩まず罪人の道に立たず嘲る者の座に着かない人。 2 主のおしえを喜びとし昼も夜もそのおしえを口ずさむ人。

 

 

黙想を通して、私たちは神の語りかけてくれる言葉にしっかりと耳を傾けること ができます。生きている神がその力あるみことばによって、私たちに個人的に 語りかけてくれます。

神の言葉が私たちの心と人生に近くなれば、それだけ神の存在も近くに感じることができます。もし聖書をはるか昔の遠い時 代のものとしてしか 感じられ ないのであれば、神の存在も遠くにしか感じられません。黙想は神の言葉が

私たちの魂に語りかけるのに耳を傾ける方法です。それによって、神の言葉を 私たちの人生に適用し、神の存在を近くに意識できるようになります。

神の言葉を黙想するための簡単なステップを 紹介します。

みことばに入り込む

まずはどの聖書の言葉を黙想するのかを選びましょう。一段落、数節、もしくは 数語などの短い箇所を選びましょう。選んだ箇所を何度か読みます。そして、同じ箇所を一言ずつ間をおいてゆっくりと読み、その箇所の意味をじっくりと 考えましょう。箇所の意味があまりよくわからなければ、黙想の前に「レベル2: 聖書を学ぶ」に戻りましょう。その箇所について深く考えて、自分に質問してみましょう。鍵となる言葉がありますか。どんな言葉が繰り返されていますか。どんなテ ーマが浮かび上がってきますか。もし聖書にこの箇所がなければ、どんな真理が 失われますか。この箇所は神、人間、イエス、救いについて何を教えていますか。この箇所からどんな真理や原則がわかりますか。

みことばを自分のうちに入り込ませる

次にその聖書の箇所の真理を自分の心と人生に入り込ませます。今この箇所 を通して神があなたに伝えようとしていることは何でしょうか。神を賛美する べき理由が見つかったでしょうか。悔い改めるべき罪が明らかにされたでしょ うか。間違った考えが明らかにされたでしょうか。間違った行動や態度が明ら かにされたでしょうか。従うべき教えがあるでしょうか。もしこの箇所の真理 を忘れてしまうなら、どんな間違った考え、行動、感情につながるでしょうか。 なぜ神は今日のあなたにこの真理を伝えているのでしょうか。

応答する

黙想を終える前に、まずは止まって静まる時間を持ちましょう。すぐに次のこと をやろうと急がないでください。聖書は2000年ほど前に書かれたものですが、それを通して神は今のあなたに個人的に語りかけておられます。静止して、神があな たを大切に思い、愛し、共にいてくれることを楽しみましょう。ときには、黙想を しても神の存在を感じられないこともあります。けれども、そんな時にも神は共にいて、聖書を通して語っていてくれます。ただ私たちが人間としての弱さや罪によって、神を感じられないのです。その原因は疲れていたり、 気が散っていることか もしれません。罪を求めているからかもしれません。私たちがそんな状態でも、神は私たちと共にいることを望んでいてくれます。弱さや罪がある私たちを神は愛して近づいて来てくださいます。私たちを救うためにイエスを与えてくれた神の愛は変わることがなく、私たちの 壊れた部分を癒そうとしてくれます。だからこそ、自分の正直な状況を神に伝え、神の恵みのなかに安心して留まりましょう。

あなたがどのレベルに取り組むとしても、神はあなたと共にいます。今週は毎日、聖書を開いて聖書を通して共にいてくださる神を意識してみてください。その経験を誰かに話してください。

話し合いましょう: 読む、学ぶ、黙想する という三つのレベルのうち、今週あなたが 取り組みたいのはどれですか?


1 簡潔に言えば、サタンとは神に敵対する霊的な存在であり、また、神に従う者たちの敵である。

2 テモテへの手紙 第一 5章18節、ペテロの手紙 第一 3章15-16節

3マタイの福音書 5章18節、ヨハネの福音書 10章35節

4 テサロニケ人への手紙 第一 1章13節、4章8節

5 イザヤ書 55章10-11節、ヘブル人への手紙 4章12-13節

6 申命記 29章29節、ヘブル人への手紙 1章1-2節、ペテロの手紙 第二 1章3節

7 ペテロの手紙 第二 1章20-21節

8 「ステップ5:教え」(50ページ)

9 ルカの福音書 24章45節

10 ふりがなは「あざける」です。