弟子として歩み出す:洗礼準備ガイドクリスチャンになるとはどういうことなのでしょう。それは、自分の罪を悔い改めてイエスを信じ、神から救いを受け取ることです。そして、イエスを主と告白して、イエスに弟子として従うことです。ですから、クリスチャンになることはイエスを信じて残りの人生はイエスに従っていくと決心することになります。そして、信仰を持ってイエスの弟子として生きていく具体的な第一歩が洗礼です。洗礼とは、バプテスマの別名で、聖書ではバプテスマという言葉が使われています。
このガイドでは、洗礼への準備として、洗礼とはどのようなもので誰が受けるべきなのかを説明し、洗礼後のステップを紹介しています。
パート1:洗礼とは洗礼とは、具体的には体が水に沈められることです。
使徒の働き8章36-38節
道を進んで行くうちに、水のある場所に来たので、宦官は言った。「見てください。水があります。私がバプテスマを受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」そして、馬車を止めるように命じた。ピリポと宦官は二人とも水の中に降りて行き、ピリポが宦官にバプテスマを授けた。
洗礼は、イエスの死、埋葬、復活を表していて、私たちが信仰によってイエスと一つにされたことを象徴します。1
洗礼は、私たちの心の信仰を目に見える形で表します。私たちが救われているのは信仰を通した恵みによってであり、行いによってでは
ありません。ですから、洗礼という行為によって救われるわけではありません。洗礼は、すでに信仰があるからこそ、イエスに従って行うものです。本物の信仰は通常、罪の悔い改めや信仰の告白、イエスに従って洗礼を受けることなどで表されます。洗礼の水に救いを与える不思議な力があるわけではありません。もし本物の信仰がなければ、水に沈んだところで、聖書の語る本当の洗礼ではありません。
洗礼は、新約聖書で当然行うべきこととして教えられています。イエスが弟子たちに与えた使命は、弟子を作り、洗礼を授け、イエスの言葉を守るように教えることでした。2新約聖書でイエスを信じて従い始めた人がまずやったのは、誓約書を書くことでも、祈ることでも、礼拝中に挙手することでもなく、洗礼を受けることでした。3実際に初期の教会では、洗礼を受けていないクリスチャンという考え方自体があり得ないことでした。また、洗礼を遅らせることもせずに、信じた人はなるべくすぐに洗礼を受けていました。4
パート2:誰が洗礼を受けるべきかイエス・キリストの福音を信じて罪を悔い改め、イエスを主として告白する人は、父、子、聖霊の名で洗礼を受けるべきです。
福音を信じるクリスチャンになるために聖書の全てを完璧に理解している必要はありません。聖書を全て読むことや、ファースト・ステップを全て読むことも条件ではありません。必要なのは、イエス・キリストの福音を信じることです。
ステップ3でも学んだように、福音はローマ人への手紙にまとめられています。
ローマ人への手紙3章23-25節
すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。神はこの方を、信仰によって受けるべき、血による宥めのささげ物として公に示されました。
ローマ人への手紙6章23節
罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
ローマ人への手紙5章8節
しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。
ローマ人への手紙6章4節
私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むためです。
ローマ人への手紙8章1節
こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。
ローマ人への手紙10章9節
なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。
イエスは神が人となった存在で、世界の真の王であるキリストだと信じますか?
あなたには罪があり、神の正しいさばきを受けるべき存在だと信じますか?
イエスがあなたの罪のために十字架にかかって死んだことを信じますか?
イエスが死から復活したことを信じますか?
罪を悔い改める使徒の働きの2章には、使徒ペテロがエルサレムに集まっていた多くの人々に福音を語ったことが書かれています。
使徒の働き2章37-38節
人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。そこで、ペテロは彼らに言った。「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。」
イエスも福音を伝えるときに、同じようなことを言っています。
マルコの福音書1章14-15節
ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言われた。「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」
悔い改めとは、心や考え方を改めて自分の人生の進む方向を変えることです。それは、罪から離れて神に向かうためのUターンです。福音を信じてイエスを主と告白するのと同時に、悔い改めて罪に仕えることをやめ、イエスに忠誠を尽くして仕えることが必要です。
悔い改めは一度きりの行為ではありません。一度悔い改めれば、もう罪を犯さなくなるわけではないからです。クリスチャンになるということは、悔い改めの人生を歩み始めることです。イエスの生き方から外れてしまうたびに、私たちは悔い改めて、改めてイエスに従います。
あなたは罪を悔い改めますか?
聖書は唯一の真の神がいることを教えています。クリスチャンになるとは、この真理を信じることです。だからこそ、私たちは偽りの神や宗教を悔い改める必要があります。本当の神とイエスに自分の全てを捧げるためには、他の偽りの神を礼拝したり、祈ったり、敬ったりすることから離れる必要があります。ですから、偶像や他の宗教的な物は手放しましょう。
コリント人への手紙第二6章14-16節
不信者と、つり合わないくびきをともにしてはいけません。正義と不法に何の関わりがあるでしょう。光と闇に何の交わりがあるでしょう。キリストとベリアルに何の調和があるでしょう。信者と不信者が何を共有しているでしょう。神の宮と偶像に何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。
あなたは偽の神、宗教、宗教的行為
などを悔い改めますか?
すべてを造った、唯一の真の神を
信じますか?
イエスを主と告白するローマ人への手紙10章9節
なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。
福音とはイエスの死と復活の良い知らせであり、これを通してイエスこそ神が世界を救うために遣わした真の王であると知ることができます。そのことの最も簡潔な告白が「私たちの主イエス・キリスト」という言葉です。5イエスを主と告白することは、イエスが自分の真の王であり、支配者であり、人生で一番の権威だと告白することです。
イエスに従おうとする人はイエスを主とする、つまり自分の人生の主人として従う必要があります。そのためには、自分は主人ではないんだと自分を捨て、イエスの教えに従う必要があります。
ルカの福音書9章23節
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。」
あなたは、あなたの主としてイエスを告白しますか?
父、子、聖霊の名でイエスは父と、子と、聖霊の名によって洗礼を受けるようにと教えました。6唯一の神は3つの位格として存在していて、それが父なる神、子なる神(イエス・キリスト)、聖霊なる神です。クリスチャンはこの真理を三位一体と呼んでいます。三位一体という言葉自体は聖書には出てきませんが、神は聖書全体で自分を三位一体の神として現しています。7
三位一体の神のそれぞれの位格が私たちの救いのために働いています。
父なる神が永遠の昔から私たちの救いを計画し、私たちを造り、愛し、神の子となるように選び、救いを成し遂げるために御子イエスと聖霊を遣わしてくれました。
子なる神が歴史の中で救いを成し遂げるために人になり、罪のない人生を生き、私たちの罪のために死に、救いのために復活し、天に上り、私たちと共にいるために聖霊を遣わしてくれました。
聖霊なる神がイエスが成し遂げた救いを私たちに適用してくれます。聖霊は父と子から遣わされ、罪を明らかにしてキリストを信じる信仰を与えることで、私たちの死んでいた心を生かし、クリスチャン一人ひとりと共にいてくれます。
三位一体だからこそ、神は愛です。神の性質の中心に、神が完璧な愛のコミュニティーであるという事実があります。
神が三位一体であるということは、私たちの理解を超えていて完全に理解することはできません。しかし、私たちは聖書が教えていることとして、三位一体を信じます。
あなたは、父、子、聖霊という3つの位格で存在している唯一の神を信じますか?
このパート2の質問への回答が全て「はい」でしたら、イエスに従って洗礼を受けるべきです。
そして洗礼を受け、新しいいのちに歩みたいですか?
パート3:洗礼は何を表しているのかより深く洗礼について理解するために、洗礼を受ける前に(今日洗礼を受けるのであれば、受けた後でも)次の聖書の箇所とその説明を読んでください。
ローマ人への手紙6章3-4,6,9-11節
それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むためです。
私たちは知っています。私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅ぼされて、私たちがもはや罪の奴隷でなくなるためです。
私たちは知っています。キリストは死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはありません。死はもはやキリストを支配しないのです。なぜなら、キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。同じように、あなたがたもキリスト・イエスにあって、自分は罪に対して死んだ者であり、神に対して生きている者だと、認めなさい。
洗礼は私たちがキリストと共に罪に対して死んだことを表しています。これには2つの意味があります。1つ目は、今までの罪をやめることができなかった古い自分が死んで、キリストと共に葬られたということです。それによって、私たちは今、罪を犯し続ける事をやめる自由を得たのです。2つ目は、自分が罪に対して死んだ者であることを毎日思い出すことで、罪からくる思いや行動と戦い続けるということです。8
洗礼は私たちがキリストと共によみがえったことを表しています。私たちはもう壊れて死んだ者ではなく、よみがえり、新しいいのちを与えられ、神によって新しく造られた者なのです。9ですから、私たちは人生の全てで神を敬い、喜ばせ、神に従うことで神のために生きます。
使徒の働き2章38節
そこで、ペテロは彼らに言った。「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。」
洗礼は私たちの罪が赦されたことを表しています。私たちの罪は、過去のものも、これから犯すものも全て神によって赦されて取り除かれました。
イザヤ書1章18節
さあ、来たれ。論じ合おう。─主は言われる─たとえ、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとえ、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。
洗礼は私たちが聖霊を受けたことを表しています。神は、私たちがクリスチャンになったときに、神の聖霊が私たちのうちに来て住むという素晴らしい贈り物を与えてくれました。この神の霊が私たちの死んだ魂に命を与え、10神の愛を知れるようにし、11罪から離れる助けをし、12仕える力を与え、13永遠のいのちを受け継ぐ保証をしてくれます。14
ガラテヤ人への手紙3章26-29節
あなたがたはみな、信仰により、キリスト・イエスにあって神の子どもです。キリストにつくバプテスマを受けたあなたがたはみな、キリストを着たのです。ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、男と女もありません。あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって一つだからです。あなたがたがキリストのものであれば、アブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。
洗礼は私たちが神の子であることを表します。クリスチャンはイエスと1つにされたことで、神の子とされています。イエスにあって、私たちは父の家にいる子どものような関係や特権を神に与えられています。あなたは神の子どもなのです。
洗礼は私たちが神の家族に加わったことを表しています。歴史上の全てのクリスチャンが人種にも社会的な立場にも関わりなく、神の1つの世界的な教会の家族の一員です。15
パート4:教会コミュニティーの大切さクリスチャンになることはゴールではありません。クリスチャンになることは、イエスの弟子としてイエスに従っていく人生のはじめの一歩です。洗礼を受けた後に大切な2つのステップがあります。
イエスに従う
イエスに従う:私たちは時間をかけて、弟子としてイエスに従うのはどういうことなのかを学んでいきます。ステップ5を振り返って、どのようにすれば毎日イエスと共に過ごし、イエスのようになり、イエスの働きに参加するように成長していけるかを考えてみてください。そのためにおすすめの方法の1つが、他のクリスチャンと一緒にネクスト・ステップを学ぶことです。16
教会のコミュニティー
イエスに従うことは、他のクリスチャンと一緒にコミュニティーで行うものです。まだ、所属している教会のない方は聖書を忠実に信じていて近くにある地域教会を探して、そこに参加してください。
ネクスト・ステップクリスチャンになることが旅の終わりではありません。むしろそれは旅の始まりです!クリスチャン人生は、イエスと共に歩み、イエスのようになり、イエスの働きに参加する旅です。クリスチャンになるということを言い換えれば、イエスの弟子になることです。
イエスの弟子としてクリスチャンは、神の言葉である聖書を読み、祈り、賛美することを通してイエスと共にいることに心を向けます。イエスの教えを学び、そして、他のクリスチャンと交わり、聖書的な習慣を身につけることでイエスのように変えられていきます。さらには、弟子を作り、あわれみを示し、神の栄光のために自分の仕事を行うことで、この世界でイエスの働きに参加します。
「ネクスト・ステップ」は「ファースト・ステップ」の続きであり、クリスチャン生活の具体的なガイドです。「イエスと共に過ごす」「イエスのようになる」「イエスの働きに参加する」という生涯を通したイエスの弟子の目的を具体的に学ぶことができます。詳しくは、次のリンクからアクセスしてください:mustardseedjapan.com/next-steps
1ローマ人への手紙6章3-4節
2マタイによる福音書28章19説
3使徒の働き2章41節、8章12-13節、8章36-38節、9章18節、10章47-48節、16章15節、16章33節、18章8節、19章5節
4使徒の働き2章38-41節、8章36-38節、16章33節
5ローマ人への手紙1章4節
6マタイの福音書28章19節
7マタイの福音書3章16-17節、28章19-20節、ルカの福音書10章21-22節、ヨハネの福音書3章34-35節、15章26節、ローマ人への手紙8章3-4節、コリント人への手紙第一12章4-6節、コリント人への手紙第二13章14節、ガラテヤ人への手紙4章6節、エペソ人への手紙3章14-17節、テトスへの手紙3章4-6節
8コロサイ人への手紙3章5節
9コリント人への手紙第二5章17節
10ヨハネの福音書6章63節
11ローマ人への手紙5章5節
12ピリピ人への手紙2章13節
13コリント人への手紙第一12章1節
14エペソ人への手紙1章14節
15コリント人への手紙第一12章13節
16ネクスト・ステップにはこちらからアクセスできます