ステップ1

神とはどんな存在?


神はいると思いますか?神がいるとすれば、どのような存在だと思いますか?


 

世の中には神についての様々な考え方があります。その中で聖書は、神が自分のことを聖書によって明らかにしたと主張しています。つまり、聖書こそが、神が自分について知って欲しいと望んでいることそのものなのです。

聖書の全体が神について教えていますが、ここではその中の「使徒の働き」の17章から学んでいきましょう。そこには、クリスチャンでありイエスの使徒であるパウロという人が、古代都市アテネで、聖書の神について初めて聞く人たちに神について伝える場面が書かれています。そこでのパウロの言葉を順番に見ていきましょう。

神は唯一

使徒の働き17章24-25節

「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主です…」

ここでは、唯一の神を意味して、「神」という言葉が使われています。たくさんの神が存在すると教える宗教もありますが、聖書が神について教えている1つ目の本質的な真理は、唯一の神が存在するということです。同じことが、旧約聖書の最も重要な箇所にもはっきりと書かれています。

申命記6章4-5節

「聞け、イスラエルよ。は私たちの神。は唯一である。あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、を愛しなさい。」

現代にも、唯一の神を信じる「一神教」に反対する人はたくさんいます。¹ 同じように聖書が書かれた時代にも、神は唯一であるという聖書の教えを馬鹿にする人たちはたくさんいました。それでも、パウロなどの聖書を信じる人々にとって、唯一の神がいるという信念は変えることのできない中心的なもので、彼らは今読んだ教え(申命記6章4-5節)を毎日、朝起きたときにも、夜眠る前にも口ずさんでいました。イエスも、この教えを聖書で一番大切な教えとして挙げています。²

古代の文化や宗教には、神々が喧嘩をしたり、力を求めて競い合ったりする話が多くあります。その結果、人々の間では、どの神にどのように仕えればよいのか分からずに混乱がありました。だからこそ次のような神ご自身の宣言は、人々に安心を与えるものでした。

イザヤ書45章5節

「わたしがである。ほかにはいない。わたしのほかに神はいない。」


ここで神について学んだことは、あなたが今まで神の存在について考えたり、聞いたりしたこととどのように違いますか。聖書の神について知ることは、良い知らせのように感じますか。


神は創造主

使徒の働き17章24-25節

「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主です...」

聖書が神について教えている2つ目の本質的な真理は、神が存在する全ての創造主であることです。聖書はこのような一文で始まります。

創世記1章1節

「はじめに神が天と地を創造された。」

聖書は神が創造主であると教えています。他の全てのものは神によって創造されました。ですから、神は独自の存在です。

私たちの住む世界の美しさや複雑さは、全てを創造した神が存在することを力強く指し示しています。

例えば、洞窟を探検していて、動物や人間、太陽や山脈などが生き生きと描かれている壁画を発見したとします。それを発見したときに普通ならば、古代の人々がこれを描いたと考え、洞窟をしたたり落ちる水滴が何年もかけて偶然にその模様を描き出したとは考えないでしょう。

また、森を歩いているときに、水車小屋を見つけたとします。誰がいつ作ったものなのかは分かりませんが、自然が偶然に作り出したものでないことはわかります。水車小屋のような複雑な建物を見つけた時の最も自然な考えは、これをデザインして作った誰かがいるということです。

同じようにこの世界の美しさと複雑さを素直に考えるなら、この世界を緻密に設計し、創造した神がいるというのが自然な結論です。美しい夕陽や花畑、人体の複雑さ、地球の傾きや太陽からの距離がどれだけ人間や生物に程よいかなどを考えてみてください。その全てが、創造主が存在することを指し示しています。


この世界を創造した存在がいるかもしれない、と思ったことがありますか?


神は王

使徒の働き17章24-25節

「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主です...」

神についての3つ目の本質的な真理は、神が全てのものの正当な王であるということです。唯一の存在で、全てのものの創造主である神は王であり、世界の全ては神の治める神の国です。そして聖書は、神が全てのものの王であることは良いことで、公正だと言っています。³


は王である。
まことに世界は堅く据えられ揺るがない。
は公正をもって諸国の民をさばかれる。

は王である。 地は小躍りせよ。多くの島々は喜べ。

義とさばきが御座の基である。

は天にご自分の王座を堅く立て
その王国はすべてを統べ治める。

詩篇96篇10節、97篇1-2節、103篇19節


神は偉大

使徒の働き17章24-25節

「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手で造られた宮にお住みにはなりません。また、何かが足りないかのように、人の手によって仕えられる必要もありません。神ご自身がすべての人に、いのちと息と万物を与えておられるのですから。」

神は「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった」のですから、当然、無限の力を持っています。パウロはここで、神が他のものを必要としているわけではないと言っています。神は人の造った宮に住むことがなく、人に仕えられる必要もありません。反対に、神が私たちに全てを与えてくれています。

神は全てを創造しただけではなく、全てを維持しています。重力のような自然法則も神が作り、維持しているものです。太陽が燃え続けているのも、地球が回り続けているのも、私たちの心臓が動き続けているのも、神が維持しているからです。神が私たち人間に必要なものを与え、この世界を維持してくれています。

イザヤ書40章28-31節

あなたは知らないのか。聞いたことがないのか。は永遠の神、地の果てまで創造した方。疲れることなく、弱ることなく、その英知は測り知れない。疲れた者には力を与え、精力のない者には勢いを与えられる。若者も疲れて力尽き、若い男たちも、つまずき倒れる。しかし、を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように、翼を広げて上ることができる。走っても力衰えず、歩いても疲れない。

神は私たちの理解を超えて偉大な存在です。永遠の昔から永遠の未来まで存在している、時間を超えた方です。そして、無限の知恵と力を持っています。神は全ての事を知っていて、いつもどこにでもいます。神の計画を妨げるものはありません。


聖書の語る神の偉大さは、あなたが知っている神についての他の考え方とどのように違いますか?


神は善良

次に、神が善良であるということが、神が私たちの近くにいて、必要なものを与え、聖なる方であることからわかります。

使徒の働き17章26-28節

「神は、一人の人からあらゆる民を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、住まいの境をお定めになりました。それは、神を求めさせるためです。もし人が手探りで求めることがあれば、神を見出すこともあるでしょう。確かに、神は私たち一人ひとりから遠く離れてはおられません。『私たちは神の中に生き、動き、存在している』のです。あなたがたのうちのある詩人たちも『、私たちもまた、その子孫である』と言ったとおりです。」

ここで聖書は、私たちが気がついていてもいなくとも、「神は私たち一人ひとりから遠く離れてはおらず」、いつも近くにいると言っています。神はあなたを創造した方ですが、それだけではなく、常にあなたを守り、必要なものを与えてくれています。

また聖書は、私たちの持っているあらゆる良いものは神が与えてくれたものだと教えています。 太陽、雨、食べ物、水、住む場所、健康、仕事をする力、友達、家族、全てが神からの贈り物です。神がこのように良いものを与えてくれるのは、私たちがそれにふさわしい存在だからではありません。その理由は、神が良い存在であり、良い人にも悪い人にも恵みを与えてくれる方だからです。

パウロは他の場所でも同じように、神について知らない人たちに、神の善良さを語っています。

使徒の働き14章17節

「[神は]それでも、ご自分を証ししないでおられたのではありません。あなたがたに天からの雨と実りの季節を与え、食物と喜びであなたがたの心を満たすなど、恵みを施しておられたのです。」

神は遠く離れた存在でもなければ、私たちに興味や関心のない存在でもありません。むしろ、神は善良で優しく、良いものや喜びであなたの心を満たそうと願っていてくれます

聖書は他にも「聖」という言葉を使って、神が良い方であることを表現しています。 神が聖であるというのは、神が完全に清くて善良で、比べられるもののいない特別な存在であるということです。神には悪や残酷さは全くなく、いつも私たちの最善を望んでいてくれます。神は良い方で、今から見ていくように、正しい愛の存在です。だからこそ、神はどんな人が死ぬことも喜びません。


最近あなたが経験した良いことや、もらった良いものには、どんなものがありますか?


神は正義

次に聖書は、神が正義であると教えています。神は正義や善良さ、公正の定義そのものであり、必ずそれに沿って行動します。神は常に世界にとって最も正しい事を行います。神の正しさをしっかりと理解するために、次の質問を考えてみてください。「私たち人間は、自分を造り、命を含む全てを与えてくれている神に、どのように応答するべきでしょうか?」

使徒の働き17章29-31節

「そのように私たちは神の子孫ですから、神である方を金や銀や石、人間の技術や考えで造ったものと同じであると、考えるべきではありません。神はそのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今はどこででも、すべての人に悔い改めを命じておられます。なぜなら、神は日を定めて、お立てになった一人の方により、義をもってこの世界をさばこうとしておられるからです。

ここで人間が「神の子孫」と呼ばれているのは、聖書の初めに神が人間を造った時に、人を神の「かたち」として、神の「似姿」に造ったからです。これが意味しているのは、神が人間を神との特別な関係のために造り、神の造った世界の中で特別な役割を与えたということです。

だからこそ、聖書は、神を偶像であるかのように扱うべきではないと言っています。神は、私たちの感謝や敬意を受けるべき存在です。神からの贈り物を当たり前のように考えている人もいれば、神の存在を認めてすらいない人もいますが、私たちは誰も神を神として正しく敬ってはいません。

聖書の他の部分では、人間が神を正しく敬わないことを「罪」と呼んでいます。¹⁰ 神を正しく敬わないことによって、私たちは神のかたちとして造られている周りの人たちにも正しい愛と敬意を持って接することができません。そして、神の造った世界を自分勝手に乱用してしまっています。

世界は罪(憎しみ、不正義、抑圧など)と、その結果(苦しみや死など)で覆われています。神は、人々が神を敬わずにお互いを傷つけ合うのを見て心を痛めています。では、神はこの問題にどのように対処するのでしょうか。

神は罪を犯した私たちをすぐに罰するのではなく、優しく我慢強く、私たちの無知を見過ごしてくれていました。しかし今は、私たちに悔い改めを命じています。悔い改めとは、神の方に向き直り、神に敬意を払って正しく感謝することです。今こそ私たちは神に向き直る必要があります。「神は日を定めて、お立てになった一人の方により、義をもってこの世界をさばこうとしておられる」からです。これは何を意味しているのでしょうか。

神は正しい存在だからこそ、この世界を傷つける悪や、悪を行う人を正しくさばきます。神のさばきがあることは、神を敬う人にとっては良い知らせです。しかし私たちは全員、罪によってこの世界の問題を作り出す側の存在であり、神の正しいさばきを受ける側の存在です。


あなたが心を痛めている世界の問題には、どのようなものがありますか。どのようにしたらその問題を正すことができるのか、考えたことはありますか。


神は愛

正しい方である神は、私たちの本来の目的である神との特別な関係に私たちを戻そうとしてくれます。この世界を創造した神は、世界を愛しているからこそ、世界を救ってくれます。この世界の問題を作り出している私たちをそれでも救うことで、神はその正しさを明らかにします。では、神はどのように救ってくれるのでしょうか。聖書が続けて語っていることを見ていきましょう。

使徒の働き17章30-31節

「今はどこででも、すべての人に悔い改めを命じておられます。なぜなら、神は日を定めて、お立てになった一人の方により、義をもってこの世界をさばこうとしておられるからです。神はこの方を死者の中からよみがえらせて、その確証をすべての人にお与えになったのです。」

ここでは、神が「お立てになり、死者の中からよみがえらせた一人の方」、イエス・キリストについて語っています。神の計画は自分のひとり子であるイエス・キリストを遣わすことで、義を持って悪を滅し、罪の中にいる人々を救うことでした。イエス・キリストは私たちの罪を赦すために、自分から進んでその命を差し出して死にました。そして三日目に、神はイエスを死からよみがえらせました。これが、神が私たちを深く愛し、私たちを罪の中に捨てておかなかったことの証拠です。このことについて、ヨハネの福音書が語っていることを読みましょう。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

ヨハネの福音書3章16節

「ひとり子」と「御子」はどちらもイエス・キリストのことです。ステップ2ではイエスについて、ステップ3ではイエスの死と復活の意味についてさらに詳しく学んでいきます。神はイエスを遣わすことで、自分の造った世界を回復させ、私たちに神との永遠に続く正しい関係を与えるために必要なことを全てしてくれました。それは、神があなたを愛しているからです。

この神の愛に正しく答えるためには、悔い改めて、神がお立てになり死者の中からよみがえらせたイエス・キリストを信じる必要があります。悔い改めてイエスへの信仰を持って生きていくことは、神に対しても、周りの人に対しても正しく生きることです。私たちは、自分を造ってくれた神について知れば知るほど、自分が本当はどういう存在で、なんのために存在しているのかを知ることができます。


ここまで、神が唯一、創造主、王、偉大、善良、正義、そしてあなたを愛していることを学んできました。この中で、今までの考えとは違ったものはありますか?共感した部分はありましたか?


1 聖書の初めの章には(創世記1章26節を参照)、聖書の中で徐々に明らかになっていく、神が三さんみいったい位一体であるという真理がほのめかされています。それは唯一の神は父、子、聖霊という3つの位格を持って存在しているということです。マタイの福音書28章19節やコリント人への手紙第二13章14節を参照。また、「弟子として歩み出す:洗礼準備ガイド」も参照(128ページ)。

2 と太字で訳されている言葉は聖書の神の固有の名前です。神への敬意からと訳されています。

3「神の国」は聖書全体を貫く大きなテーマです。これからのステップでさらに詳しく学んでいきます。

4 イザヤ書46章9-10節、イザヤ書40章9-26節、ヨブ記38章1節-41章34節

5 ヤコブの手紙1章17節

6 マタイの福音書5章45節

7 イザヤ書6章3節

8 エゼキエル書18章32節

9 創世記1章26節。これについてはステップ4でさらに詳しく学んでいきます。

10 ローマ人への手紙1章21-25節&3章23節。罪については、ステップ3で詳しく説明します。