ステップ4聖書のストーリーとは?


ファースト・ステップ以外で聖書を読んだことがありますか?聖書についてどんな印象を持っていますか?

聖書は全体を通して1つの壮大なストーリーを語っています。それは、神と人とのストーリーです。聖書には、世界が壊れてしまった理由、それを直すために神がしたこと、この先の未来がどうなるのかなどが書かれています。聖書のストーリーはフィクションではありません。聖書は神が実際にこの現実の世界で行ったことの記録です。そして聖書に書かれている出来事は私たちの人生と交差し、私たちを神の大きな物語に招き入れてくれます。それは、神が愛する世界を救う大きな物語です。

聖書は1冊の本ではなく、66巻の本、詩集、手紙が、旧約聖書と新約聖書という2つに分けて収められています。旧約聖書は神が世界を創造するところから始まり、人間の神への反逆、神が恵みによって、特にイスラエルの民を通して人間と関わり続けてくれたこと、そしてイエスの生まれる数百年前まで続いていきます。新約聖書はイエスの誕生で始まり、イエスの人生、死、復活、そしてイエスの初期の弟子たちである教会について書かれています。

旧新約聖書の66の本すべてが神の霊感によって書かれた、神について教える特別な本です。聖書に収められている本は、多くの著者によって、複数の言語で、何世紀もの時を経て書かれました。しかし、聖書の一言一句が神に導かれて書かれたものです。神は、私たちが神を知り、イエスにあるいのちを受け取ることができるように、聖書によってご自身を明らかにされました。

第1部:創造創世記1章1節,31節

はじめに神が天と地を創造された。

神はご自分が造ったすべてのものを見られた。見よ、それは非常に良かった。

このストーリーの始まりは神です。神がすべてを創造しました。芸術家のように、神は暗闇と混沌から美しさと秩序を生み出し、世界を驚きと命で溢れる場所としました。

神は王であり、世界は神の国として造られたのです。そして神の支配の中で、すべては「非常に良かった」と言われています。

神は世界の全体を、神が住むべき聖なる場所として造りました。けれども、神が世界を造ったのは自分のためだけではありませんでした。神は世界を人間が神と一緒に住める場所として造ってくれました。

創世記1章26-28節

神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。」神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地の上を這うすべての生き物を支配せよ。」

神は人間を「神のかたち」として、他の動物とは違う特別な存在として造りました。私たちは神の子どもとして、神との特別な関係を持つために造られているのです。そして神は人間に特別な役割を与えます。それが、神に仕えながら支配者として「地を従える」ことでした。人間に与えられた仕事は世界を搾取して壊すのではなく、神の権威のもとで世界に美しさや素晴らしさをもたらし、世界を命で満たす神の働きに参加することでした。

この時に人は、神とも、互いにも、世界とも完全な調和を持っていました。では、なぜ今の世界はそのような場所ではないのでしょうか。ストーリーの続きを読んでいきましょう。

第2部:反逆創世記2章15-17節

神である主は人を連れて来て、エデンの園に置き、そこを耕させ、また守らせた。神である主は人に命じられた。「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」

神はひとつの園を作り、そこを神殿として、人が神と一緒に過ごして神に仕えることのできる場所としました。そして神は人に1つのことを命じます。もし人が創造主である神を信頼し、自分の王である神の権威に従って神の命じたことを守れば、永遠のいのちと繁栄が与えられるはずでした。けれども、実際にはそうはなりませんでした。

創世記3章1-6節

さて蛇は、神である主が造られた野の生き物のうちで、ほかのどれよりも賢かった。蛇は女に言った。「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか。」女は蛇に言った。「私たちは園の木の実を食べてもよいのです。しかし、園の中央にある木の実については、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と神は仰せられました。」すると、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。それを食べるそのとき、目が開かれて、あなたがたが神のようになって善悪を知る者となることを、神は知っているのです。」そこで、女が見ると、その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく、またその木は賢くしてくれそうで好ましかった。それで、女はその実を取って食べ、ともにいた夫にも与えたので、夫も食べた。

人は神を信頼する代わりにまんまと騙され、自分で善悪を決めることを選んでしまいました。それは神の命じたことに従わずに王である神に逆らい、善悪を決める神の立場を奪い取ろうとすることでした。

反逆の結果はすぐに現れ、人は恥を感じるようになりました。それは自分が壊れた存在になり、人間同士関係も、神との関係も壊れてしまったことからくる恥です。1そして神が忠告した通りに、人間は死ぬことが定められた存在となりました。2さらに何よりも悪いことに、人はもう神と一緒にいることができなくなってしまいました。3

神と人間のストーリーは、ここで悲しい結末を迎える可能性もありました。しかし神は、人間を含む世界をいつか回復させると約束してくれました。そこで神は、人間を騙した者に次のように告げました。

創世記3章15節

「...わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。」

ここでは良い知らせが語られていますが、その意味が明らかになるまで、人類は長い間待つ必要がありました。

第3部:契約創造主である神の知恵を拒否して神の権威に逆らった結果、暴力と堕落が広がり、人間の状況はどんどん悪くなっていきました。社会全体が創造主である神を否定する思い上がりによって形作られ、人間は自分の基準で善悪を決め続けました。4

しかし人類が破滅を選び続ける中で、神は世界を救うための恵みの計画を始めました。神は、神に逆らう人々の中から無条件に1人の人を選びました。それが、後にアブラハムと名前を変える、アブラムという人でした。

創世記12章1-3節

主はアブラムに言われた。「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」

神に逆らう人間の問題を解決するために、神はアブラハムを選んで使命を与えました。そして、アブラハムに大きな約束をします。それは、アブラハムを「祝福」して新たな「地」に導き、その家族を「大いなる国民」にするというものでした。アブラハムの家族は壊れた人類の中で新しい人類となるように選ばれ、使命を与えられたのです。そして神は彼らに与える土地を、堕落した世界の中での新たな聖なる場所にしようとしました。

後に神は、この約束を「契約」としてアブラハムとの間に正式に結びました。契約とは、神と人との間の聖なる取り決めのことです。5この契約で神は、どんなことが起ころうとも必ず人間を神との特別な関係に戻し、人間に与えた特別な役割を回復させると宣言しました。6神はアブラハムとその家族を神の民として選んで神の国に迎え入れ、彼らを通して神の良い支配を広げることで「地のすべての部族」を祝福しようとしました。

第4部:イスラエル神の約束の通りに、アブラハムの家族は大きく増えていき、イスラエルという国になりました。7しかし、彼らは神が約束した土地にではなく、エジプトに住んでいました。そこで彼らはエジプトの王によって奴隷として搾取されていたのです。イスラエルの人々が苦しんでいるだけではなく、イスラエルを通して世界を救うという神の計画が危険に晒されているように見えました。

しかし、神はイスラエルの苦しみを通しても働いていて、神の計画は前進していました。8神は奇跡によってその力を示し、イスラエルをあがな9奴隷の状態から贖いました。そのようにしてイスラエルに、神だけが王であることを示したのです。10そして再び彼らを、新しい人類となる神の契約の民として任命しました。

出エジプト記19章4-6節

「あなたがたは、わたしがエジプトにしたこと、また、あなたがたを鷲の翼に乗せて、わたしのもとに連れて来たことを見た。今、もしあなたがたが確かにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはあらゆる民族の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。あなたがたは、わたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。」これが、イスラエルの子らにあなたが語るべきことばである。

「祭司の王国」としてイスラエルの役目は、全世界に神を映し出すことでした。そのためには神との契約の中で与えられた教えを守り、神の知恵を信頼して、神の権威を敬う必要がありました。11そして神は、イスラエルが神に近づくために、聖所を作るようにと告げました。12さらに神は、イスラエルが神の教えを破った時にも罪に対処する方法を与えました。13

第5部:捕囚神は、イスラエルに約束していた土地に彼らを導き入れました。しかし、それで全ての問題が解決したわけではありません。イスラエルは他の人類やエデンの園での人間と同じように、神の教えに従わずに反抗を続けました。

その中で神はイスラエルに王を与えました。王は人でありながらも、神の権威を国中に表し、イスラエルから世界中へと神の国の祝福を広げるように任命されていました。そのためには、まず王が神を信頼して敬い、人々に神の教えを伝える必要がありました。

また王は首都であったエルサレムに、「神殿」を建てました。14この神殿で、イスラエルや他の国々は神と和解して関係を持つことができました。そして、神が真の王としてその場所にいることの象徴として、神の栄光が神殿を覆いました。

しかし、何世代にもわたって、イスラエルの王たちは神の権威に逆らい続けました。神を神として敬わず、人々に公正と正義を行いませんでした。中には良い王もいたものの、神に完全に忠実な王はおらず、多くが悪い王でした。

結果として、イスラエルは神からどんどん離れていき、世界を救うための神の計画からも離れていきました。神はそれでも預言者たちを遣わして、彼らが神との関係に戻り、神から与えられた役割を果たすようにと呼びかけました。預言者は、悔い改めないと神の怒りが下ると伝えましたが、人々は聞く耳を持ちません。ついに、神は神殿を離れます。15そして、外国の軍勢がイスラエルを征服して神殿を壊すのを許し、イスラエルの王と民は「捕囚」(囚われの身)として土地を追われてしまいました。まるで第2部で読んだ、創世記の3章で人がエデンの園を追い出された事が繰り返されているかのようです。

第6部:メシア捕囚はイスラエルにとって暗黒の時代でした。人々は苦しみの中で、原因となった自分たちの罪の責任と恥を感じていました。では、神がイスラエルと結んだ契約と、彼らを通して世界を救うという約束はどうなってしまったのでしょうか。このような中でも神は預言者を通して、希望のメッセージをイスラエルに与えていました。

イザヤ書40章1-2節

慰めよ、慰めよ、わたしの民を。─あなたがたの神は仰せられる─エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その苦役は終わり、その咎は償われている、と。そのすべての罪に代えて、二倍のものを主の手から受けている、と。

預言者たちが伝えたメッセージは、イスラエルの失敗にもかかわらずに神が彼らを赦し、回復させ、彼らと世界への約束を果たしてくれるということでした。この良い知らせには、3つの大きなテーマが折り込まれています。

神が自分の民のもとに来る

イザヤ書52章7-8節

良い知らせを伝える人の足は、山々の上にあって、なんと美しいことか。平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせ、「あなたの神は王であられる」とシオンに言う人の足は。あなたの見張りの声がする。彼らは声を張り上げ、ともに喜び歌っている。彼らは、主がシオンに戻られるのを目の当たりにするからだ。

ここでは、捕囚による荒廃の中でも、神はまだ「王であられ」、王として戻ってくると約束しています。これは「良い知らせ」です!イスラエルの神殿を離れた神が、突然またそこに帰ってくるというのです。16ですから預言者はイスラエルに、神がイスラエルに「戻られる」のをすぐに見ることになるから準備をしておくようにと伝えました。17では、神が戻られるのを目の当たりにするとはどのような意味なのでしょうか。

メシアは神の国を打ち立てる

イザヤ書9章6-7節

ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に就いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これを支える。今よりとこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。

神はメシアと呼ばれる王を通して王国を立てると約束しました。18メシアは真の王として、神を忠実に信頼して敬います。これは、他のどの王にも、イスラエル人にも、人類にもできなかったことです。だからこそ彼は神の子とすら呼ばれています。19メシアは悪を打ち破り、神の国の平和と正義の祝福を地上のすべての国に広げます。では、メシアはどのように悪を打ち破って神の国を立てるのでしょうか。

メシアは苦しんで死ぬ

イザヤ書53章4-5節

まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。

預言者のメッセージの中で、このテーマが最も謎に包まれていました。メシアは神の国を打ち立てますが、それは力や暴力によってではありません。むしろ、罪や悪の結果を負うことでメシアは悪を打ち破ると書かれています。メシアは神のしもべとして苦しんで死ぬことで人の罪の身代わりになり、神と反逆する人間との間に平安を与えてくれます。20しかし人々はこのような形でメシアや神の国が来ることを予想していませんでした。メシアが実際に来るときに、神の民はそれに気がつくことができるのでしょうか。

神からのメッセージには多くの謎が残りながらも、たくさんの希望がありました。その希望を持って、イスラエルは待ち望んでいました。

第7部:イエスついに神が約束を果たす時が来ました。それはナザレのイエスを通してです。イエスは神が人となった存在で、約束されていたメシアであり、苦しみを通して神の国を打ち立てるしもべです。21

マルコの福音書1章9-11節

そのころ、イエスはガリラヤのナザレからやって来て、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けられた。イエスは、水の中から上がるとすぐに、天が裂けて御霊が鳩のようにご自分に降って来るのをご覧になった。すると天から声がした。「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。」

神は、イエスが自分の「子」(メシア、真の王)であり、神が「喜ぶ」しもべであると宣言しました。22この後イエスは、エデンの園での初めの人類と同じように悪魔の誘惑に遭います。しかしイエスは人類史上初めて誘惑に打ち勝ち、罪を犯しませんでした。23

マルコの福音書1章14-15節

...イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言われた。「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」

イエスがここで言っているのは、彼らの目の前で神のストーリーが成就する時が来たということです。神の国がやってきたのです。そしてイエスは全ての人に、悔い改めて、神が世界を救うためにイエスを通して行っていることを信じるようにと告げました。

そしてイエスは12人の弟子たちを任命し、イエスを中心としてイスラエルの回復が始まっていることを示します。イエスと弟子たちの働きは神から追放された人々を集めて、もう一度神の民とすることだとイエスは弟子たちに伝えました。24イエスは病人を癒して人々の罪を赦しました。それらは、イエスご自身が神殿に代わる神が人々に出会う新しい場所であることを示しています。25

イエスのここまでの活動は、神の国が来たことを示すものでした。そして、イエスが預言されていた通りのへりくだった王としてエルサレムに入ったことで、イエスの活動はクライマックスに近づきます。26しかし、多くの人が、イエスが来たことは神がその民を救うために戻って来たことを意味するのだと理解できませんでした。イエスはそれを見て悲しみました。27

そしてイエスは最後の誘惑を受けますが、神の計画に完全に従って死に、罪との戦いに勝利します。28ですから、十字架上でのイエスの死は敗北ではなく罪への勝利でした。4つの福音書すべてが、十字架をイエスの王としての即位として書いています。

イエスが神を完全に信頼して従ったことは、イスラエルの王にも、イスラエル国家にも、他の誰にもできなかったことをイエスがやり遂げたということです。罪人の代わりとなって、イエスは自分の罪のない命を差し出しました。この時に、エデンの園以降、すべての人類と世界中を侵していた神への反逆が解決しました。罪が赦されました。死が打ち破られました。そしてイエスの復活とともに、新しい創造が始まりました。

これが聖書のストーリーのクライマックスです。神が、神の現れであり真の王であるイエスによって、自分の民と世界を救うために戻って来ました。真の人としてイエスはイスラエルと人類の代表として、罪の無い人生を生き、私たちの身代わりの罪の犠牲として死にました。死んで復活したイエスこそがイスラエルのメシア、世界の正当な主である真の王です。

第8部:教会イエスは死から復活した後、40日に渡って弟子たちに現れました。

使徒の働き1章6-11節

そこで使徒たちは、一緒に集まったとき、イエスに尋ねた。「主よ。イスラエルのために国を再興してくださるのは、この時なのですか。」イエスは彼らに言われた。「いつとか、どんな時とかいうことは、あなたがたの知るところではありません。それは、父がご自分の権威をもって定めておられることです。しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」こう言ってから、イエスは使徒たちが見ている間に上げられた。そして雲がイエスを包み、彼らの目には見えなくなった。イエスが上って行かれるとき、使徒たちは天を見つめていた。すると見よ、白い衣を着た二人の人が、彼らのそばに立っていた。そしてこう言った。「ガリラヤの人たち、どうして天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。」

この時点で神の国は始まっていましたが、まだ完成はしていませんでした。神の素晴らしい支配は、世界中の国と人々へと広げられる必要がありました(今でもそうです)。その使命をイエスは弟子たちに与え、世界中で福音の「証人」となるように任命します。

イエスは「天に上り」、父なる神の右の座に着きました。天でも地でもすべての権威がイエスに与えられました。そのイエスが弟子たちに与えたのが、あらゆる国の人々を弟子にするようにという使命です。29

イエスは天に上ってから10日後に約束した通りに「聖霊」を送りました。聖霊が弟子たちに福音を伝える力を与え、すぐに何千人もの人が信じて洗礼を受けました。そして生まれたのが教会です。30その後、弟子たちは世界中に散って行って神の国の福音を伝え、信じた人たちを教会へと建てあげていきました。31

イエスを真の王として信じて告白した人たちは、イエスの弟子として教会に加わりました。この人たちが新しい人類、新しい神の民、真のイスラエルであり、神は彼らを通して神の国の祝福をすべての人に広げています。

ペテロの手紙第一2章9節

しかし、あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です。それは、あなたがたを闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に召してくださった方の栄誉を、あなたがたが告げ知らせるためです。

現代の私たちは、神のストーリーのこの部分を生きています。イエスが世界の真の王として、すべてを支配しています。そしてイエスに属するクリスチャンは、そのことを示す証人です。

イエスを主として従うことで、私たちもこのストーリーに参加できるのです!

第9部:回復このストーリーはまだ終わりではありません。真の王であるイエスはまた戻ってきます。32

ヨハネの黙示録1章7節

見よ、その方は雲とともに来られる。すべての目が彼を見る。彼を突き刺した者たちさえも。地のすべての部族は彼のゆえに胸をたたいて悲しむ。しかり、アーメン。

イエスが再び来られる日に、死人はよみがえり、今まで存在した全ての人が真の王の前に立ってさばかれます。その時に、真の王を信じてその死と復活を信頼した人は永遠に神と共に生きることになります。それ以外の人たちは永遠に神のもとから追い出されることになります。

ヨハネの黙示録21章1-5節

また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降って来るのを見た。私はまた、大きな声が御座から出て、こう言うのを聞いた。「見よ、神の幕屋が人々とともにある。神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。」すると、御座に座っておられる方が言われた「。見よ、わたしはすべてを新しくする。」

神は世界を作り替えます。その時に世界は完璧で、死も、悲しみも、痛みもない場所になります。全てが「新しく」なります。そして神との特別な関係と、神が人間に与えた特別な役割が回復します。新しい創造では、神がずっと計画していたように、神に属する人々と共に「住む」ことになります。

その日がいつ来るのかは分かりませんが、その時について聖書は次の2つのことを語っています。

ペテロの手紙第二3章9節

主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

ヨハネの黙示録22章20節

これらのことを証しする方が言われる。「しかり、わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。


聖書が1つの壮大なストーリーであると知っていましたか?どの部分が心に残りましたか?


1創世記3章7-13節を参照

2創世記3章16-19節を参照。

3創世記3章22-24節を参照。

4創世記11章1-9節

5創世記15章1-16節

6創世記15章17-21節

7イスラエルとは、神がアブラハムの孫であるヤコブに与えた名前です(創世記32章28節)。ヤコブには12人の息子がいて、その子孫がイスラエルの12の部族になりました。またイスラエルはユダヤと呼ばれることもあります。さらには、後になってイスラエル人が住むことになった土地を指してイスラエルと呼ばれることもあります。

8実際に、神はイスラエルが奴隷にされるということを事前に告げていました。創世記15章13節を参照。

9出エジプト記1-14章

10出エジプト記15章18節

11例えば、出エジプト記20-24章を参照。神との契約の中で与えられた教えを信頼して守ることには、創世記2-3章に書かれているエデンの園での神の教えを信頼して守る必要があったことと同じような状況だとも言えます。

12出エジプト記25-31章を参照。幕屋は創世記2章に書かれている、エデンの園が神殿であったことを示唆しています。

13例えば、レビ記を参照。これも、創世記3章21節で神がエデンの園で罪を犯した人の恥を覆ったことを連想させます。

14イスラエルの初めの王はサウルで、ダビデ、ソロモンと続いていきます。神殿を建てたのはソロモンです。(サムエル記第一と第二参照。)

15エゼキエル書10-11章、エレミヤ書7章

16マラキ書3章1節、マルコの福音書1章1-3節

17イザヤ書40章3-5節

18「メシア」とは油注がれた者という意味で、ギリシャ語では「キリスト」となります。詳しくは詩篇2編2節とサムエル記第二7章1-17節で神がダビデにした約束を参照。

19詩篇2編1-2、4-8節

20イザヤ書42章1-9節、49章1-13節、50章4-11節、52章13節-53章12節

21マルコの福音書1章1-9節とイザヤ書40章3-5節を参照。また、イザヤ書7章14節とマタイの福音書1章21-23節を参照。

22詩篇2編7節とイザヤ書42章1節を参照。

23マタイの福音書4章1-11節、マルコの福音書1章12-13節、ルカの福音書4章1-13節を参照。またイエスは悪霊を追い出すことで、イエスが王として悪魔の上にも権威を持っていることを示しました(例えばマルコの福音書5章1-20節など)。そしてイエスの死が最終的な悪魔への勝利となりました(コロサイ人2章15節を参照)。

24マルコの福音書1章17節、エレミヤ書16章16節を参照

25マルコの福音書1章40-45節とマルコの福音書2章1-12節を参照。これを通してイエスは自分が新しい神殿であり、今までの神殿は腐敗して廃れたと言っています。ヨハネの福音書1章14節、2章13-22節、マルコの福音書11章12-21節、マタイの福音書12章6節、またエレミヤ書7章11節を参照。

26ルカの福音書19章28-40節、ゼカリヤ書9章9節

27ルカの福音書19章41-44節

28マタイの福音書26章36-56節、ピリピ人への手紙2章8節

29マタイの福音書28章18-20節を参照。これは神がアブラハムに与えた、彼を通してすべての国民を祝福するという約束を成就します(創世記12章1-2節)。

30使徒の働き2章1-47節

31「使徒の働き」を参照。

32それがいつになるのかは、父なる神の他に誰も知りません。使徒の働き1章7節を参照。